SSブログ

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №122 [文芸美術の森]

        明治開化の浮世絵師 小林清親
            美術ジャーナリスト 斎藤陽一
                  第5回 
      ≪「東京名所図」シリーズから:名残の江戸情緒≫

 小林清親の「東京名所図」シリーズには、新しい文明開化の様相だけでなく、江戸時代から変わらない自然や風俗も描かれています。
 それらは、明治開化期に生きる人々にも、「江戸情緒」を感じさせる懐かしいものとして受け入れられたことでしょう。

 下図は、そのような江戸情緒ただよう作品のひとつ「元柳橋両国遠景」。

122-1.jpg

 この絵の中の老いた柳の木があるところに、かつて、隅田川に流れ込む掘割があり、そこに「元柳橋」が架かっていましたが、明治には無くなっていました。この柳の木が、今は無い「元柳橋」を暗示しています。
 隅田川に架かる大きな橋は「両国橋」ですが、霧に包まれて霞んだシルエットとなっている。
 この絵に描かれるのは二人の男女。
 男は、元柳橋があった川岸に立ち、水の流れを眺めながらなにやら物思いにふける風情。
 女は、そんな男の姿に目をやりつつ、左方向に歩み去ろうとしている。ドラマの一場面を見るかのような情景です。

 作家の永井荷風(1879~1959)は小林清親の絵を愛好し、いくつも所蔵していました。この作品も荷風が所有していたもの。
 ちょうどいい機会なので、ここで、永井荷風の東京散策記ともいうべき『日和下駄』(ひよりげた)を紹介しておきたい。

122-2.jpg

 『日和下駄』は、大正4年、荷風が36歳のときに出版された作品。大正時代になっていたこの頃には、東京の街からだいぶ江戸の面影は失われていた時期でした。(小林清親は、この年、大正4年11月に68歳の生涯を終えている。)

 永井荷風は、東京の街をひたすら歩き回り、観察することによって、失われゆく「江戸の面影」への深い哀惜の気持ちを綴っています。
 荷風の『日和下駄』には、小林清親の「東京風景版画」について、次のようなことが記されている:
 「小林翁の東京風景画は・・・明治初年の東京をうかがい知るべき無上の資料である。」
 「一時代の感情を表現し得たる点において、小林翁の風景版画ははなはだ価値のある美術と言わねばならぬ。」

 荷風の『日和下駄』には、小林清親のこの絵(「元柳橋両国遠景」)に触発された次のような文章があります:

122-3.jpg

 まさに清親の絵の情景そのものの描写ですね。

 研究者の酒井忠康氏は、この絵について、次のような興味深い見方を示しています。
 「清親がこの老いた柳をいかにも象徴的に描いて見せた理由は、いくつか思いあたる。太いしだれ柳の木が、奇妙に引き裂かれて地肌を出し、そのしだれ柳を境に新旧の対照的な世界を暗示させることができたからである。右の着流しの男は過去に思いを馳せ、左の女はちらりとその方に目を配っているが、同調はしない。いうところの近代に進み出てゆくものの視線を背中にうけているのである。」
(酒井忠康著『開化期の浮世絵師・小林清親』:平凡社ライブラリー)

 酒井氏の指摘に導かれてこの絵を見ると、確かに、男は、霧の中にぼんやりと姿を見せ、両国橋のシルエットと同化してしまいそうに見える。これに対して、左方向に歩み去ろうとする女の青い着物と赤い帯はくっきりと鮮やかで、対照的な存在に思えてくる・・・
 しっとりとした新内の唄でも聞こえてきそうな、江戸情緒を感じさせる作品です。
 
 次の絵にもまた、江戸情緒がただよいます。これは、小林清親が明治12年に制作した「小梅曳舟通雪景」

122-4.jpg

 題名を見て、第2回で紹介した小林清親最初の「光線画」5点の中のひとつに「小梅曳舟夜図」(枠内図)があったことを思い起こしませんか?あの小梅村の曳舟川に沿った道を、ここでは「雪景色」として描いているのです。

 御高祖頭巾の女ともう一人の女が、何やら語り合いながら、雪道を歩いてくる。二人は傘をすぼめて手にぶら下げているので、雪は止んだのだろう。しかし、鉛色の空はまだ雪がちらつきそうな気配を示している。何人もの人が歩いた道は踏みしめられており、雪と土が混じり合った模様を見せている。
 いくつもの色が重ねられた水面は揺れ動いており、ゆったりと川が流れていることを感じさせる・・・・
 「雪月花」という言葉は、日本的な美意識をこの三つの文字に象徴させたものですが、この絵も「雪の日の情緒」を余すところなく伝えています。

122-5.jpg

 ちなみに、清親が敬愛する歌川広重もまた、同じ場所を描いています。
122-6.jpg
 広重晩年の連作「名所江戸百景」の中の「小梅堤」(右図)です。
 ご覧の通り、広重は、上から下を見下ろす「俯瞰ショット」により、風光明媚な小梅堤の風景を明るく描いている。
 よく見れば、広重の絵にも、橋の上には御高祖頭巾をかぶった女ともう一人の女が描かれている。
 もしかしたら、小林清親は、広重のこのイメージに触発されて、雪景色の小梅堤の情景を描いたのかも知れません。

 清親の絵の御高祖頭巾の女が手にしている傘をよく見ると、これは「洋傘」であり、この絵の中に一点だけ「文明開化」がしのびこんでいますね。
 次回はまた、小林清親の「東京名所図」を鑑賞していきます。

(次号に続く)


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。