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山猫軒ものがたり №32 [雑木林の四季]

米だ!米だ! 2

           南 千代

 十月中旬、いよいよ稲刈りだ。田植えが遅いので稲刈りの時期も遅い。刈り取り期を判断するのもむずかしく、「夕陽に向かって穂をみると、穂が黄金色にすきとおって美しい状態になってきます。この時を収穫適期とみています」と、まことに詩的な表現をしている専門書もあるほど。
 子細に専門的立場から言えば、さまざまな判断があるようだが、ここは単純に稲の実の入り具合と、周りの百姓の動きから刈り取り期を決めることにした。
 ずいぶん、いい米だ.初めてとは思えないね、こりゃ負けそうだいな」
 刈り取り前の稲を見て、赤岩さんがほめてくれたので、夫はうれしそうだった。早く稲刈りがしたい。が、よその稲刈りを見ていた夫は、急にあわて始めた。
 「刈った稲を掛けるヤツを用意しなきやダメだ。竿と脚と、丸太が百本ほど要るよ。どうしたもんかな」
 そういえば、よその田の隅の方には、長いサオの丸太が伏せて収納してあった。ハザ架に使う木だったのだ。山から自分で伐り出して作るしかない。夫は、地主に頼んで、山の細いヒノキを、間伐させてもらうことにした。用意するのに三日ほどかかってしまった。
 事前の用意が必要なのは、田植えと同様だ。イナ架が強風で倒れないように、また風通しをよくするために、付近の風向きを考えて架を組む。柳田さんもまた、加勢にきてくれた。
 もちろん、手刈り。ノコギリ鎌という稲刈り専用の鎌で刈り、束にしてワラで縛っていく。
 刈っては縛り、運んで架に掛け。手作業は時間がかかる。二日かけて、ようやく刈り終えた。
 刈った稲は、乾燥するまで田に干しておき、脱穀する。稲からモミを落とす作業だ。脱穀には、山猫軒の納屋に眠っていた、足踏み式脱穀機を引っ張り出した。麦用に使っていたのだろう。まだ、使えそうだった。田に運んで行った。
 今は皆、脱穀も乾燥も機械なので、干した後の稲は、自宅に持ち帰る。まわりの田はもう、閑散としている。試行錯誤しながらガーコン、ガーコンと踏んでいると、遺行く百姓が、おもしろがって足を止め、ひやかしていく。
 「えらい懐かしい機械を使ってるじゃねえか。それじゃダメだ。穂が首から落ちちまうべ。どれ、かしてみな」
 ひやかしついでに、要領を教えてくれた。むしろの上にモミがいっぱいにたまっていく。丸一日かけて、ようやく脱穀終了。西の山に陽が沈もうとしている。赤い夕陽の中で、モミは黄金色に輝いた。
「やった、やった! 米だ、米だ! 金だ、金だ!」
 夫が、むしろの上のモミに体を埋め、両手で米を抱え込み、泳ぐようにして喜んでいる。体を起こして立ち上がると、夫は、私に胸を張って言った。
「これで、最低一年は、何があっても食べていけるよ」

 むしろの上にモミを広げての、天日乾燥。モミから殻をとって玄米にするモミスリ。ごはんとして食卓に来るまでに、まだまだ作業はあった。モミスリは機械がないので困っていたら、赤岩さんの家でやらせてくれた。ほんとに、赤岩さんがいなかったら、米はできなかったに違いない。
 こうして、ようやく六俵の※がとれた。三百六十キロだ。反当り六俵の収穫は、この山間部では、まあまあの成績だという。でも、年間に倣う私たち二人分の米の量としては、充分すぎるほどである。
 自分の手で作った米を薪のかまどで炊いて食べる。この味を知らずしてグルメを語るなかれ、の心境になるほどおいしい。米を作ると、何だかへンな自信もついてしまうらしい。
 米は、白米ではなくビタミンなど栄養たっぷりの胚芽を残した、玄米や五分づきの胚芽米で食べる。五分づきで出た糠は、糠漬けや鶏のエサに利用する。
 「ごはん粒を残さないように食べなさい。米は、八十八の手がかかっているって言うんだから」
 小さい頃、親にそう言われても全くピンとこず、平気で残していた。自分で作ってみると、釜の中にすら、ひと粒も残さないようにきれいに食べた。
 客が来て、出したご飯をすまして残されたりすると、もう、この人には絶対に食事は出さないぞ、と思ってしまうようになった。
 稲ワラとモミ殻も、米作りの大きな副産物だ。特に稲ワラの利用法は多い。苗や稲を縛ったり、ヤギや犬など動物小屋の敷きワラに使う。敷きワラは、そのまま堆肥作りに利用する。畑や柚の木の根元にも保温用や肥料として使う。正月のしめ飾りも作ることができる。昔の人なら、縄をなったり、むしろを編んだりと、まだまだ使い道があっただろう。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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