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山猫軒ものがたり №31 [雑木林の四季]

米だ!米だ! 1

         南 千代

 パーン、パパーン。朝一番。花火の音が聞こえた。今日は、地区対抗の町の運動会。出場者と出場種目はあらかじめ決められており、回覧板で回ってくる。龍ケ谷は若い人が少なく、三十歳を過ぎてしまった私たちでさえ、若者の部類であったから、二種、三種と競技に出ることになっていた。
 運動会なんて、高校時代以来のことである。場所は、町の中学校だ。私はドキドキしながムバイクを走らせた。夫は、自称、カメラ粧。ここに来てからは、地元の行事や歳時を機会あることに撮っている。中学校に着くと、龍ケ谷のテントを捜した。区長や各組長、スポーツクラブの役の人たちが、お茶入れなどみんなの世話をしている。

 地元には、運動会もそうだが、さまざまな集まりや行事、共同作業などがある。元旦には、朝十時に集合して熊野神社に詣で、元旦祭。年に二回の小祭、一回の大祭もある。夏のスポーツクラブのカラオケ大会やバーベキユー大会。農事の行事、お日待ちの宿。
 共同作業では、夏場ひんばんに行う道普請、女の人だけが定期的に受け持つ集会場の掃除。加えて葬儀から法事などまで、組内の冠婚葬祭のおつきあい。集会場を建直すための解体といった作業や道路沿いの桜の木の手入れ、などなど。
 地区ごとの役職や農事の役も分担で行う。区長、組長、班長。祭りの役である大当番、小集め。体育委員や衛生係、道路係。農協との間を取り持つ支部庁、班長など。役を受け持つのは、龍ケ谷全五十数戸に対し四十人ほど。私たちも、来て一年目から衛生係になっていた。
 大祭、小蒔釣りくつ察などは日曜、平目に関係なく星間に行われる。参加する一家の主は、ほとんど高齢者で勤め人などの祭。また、お年寄りの一人暮らしのケースはあっても、核家族という構成はない。家には、基本的にはいつも誰かがいるのがムラなのであった。
 このような状況で、個人的つきあいはともかく、地元づきあいも同等に担っていくには、私たちのような者にはかなり無理がある。私たちは、ここが実家ではない。たとえば、ムラでは、元旦は実家に帰ってくる家族を迎える立場だが、私たちは他県の実家に帰る立場なのだ。冠婚葬祭にしても同じ。
 しかし、当初三年間は、私たちは本業の仕事を断ってでも地元のつきあいには参加しょうと思っていた。夫も私も自由業だからできたことで、会社勤めの共稼ぎだったらとても無理だったろう。地元づきあいを大変だと思うか、興味を持って参加しようと思うかはそれぞれの価値観だが、私たちは後者だった。
 自分たちが腰を据えて住もうとする土地の、歴史、風習、暮らしを知ることは、おもしろい。また、そうして長年ムラの景観や慣習が保たれてきたからこそ、私たちもいい所だと喜んで住むことができたのかもしれない。それを思えば、共同作業などをきちんと務めることは、移り住んで来た者の礼儀だという気がした。
 冠婚葬祭のつきあいなどは、私たちのような者が今後増えてくれば、自然に改善されてくるだろう。長い時間はかかると思うけれど。
 農協へは加入する意味も必要も感じしかなかったが、集落の全員が加入しているので、つきあいの意味でも入ったほうがよいだろうと紹介者からすすめられた。加入する前に念のため、と町の農協に出かけて行き、組合長に会った。大まかに自分たちの状況を伝えた上で聞いた。
「農協に加入すると、何か良いことがあるのでしょうか」
 組合長は、やや考えて、シンプルに答えた。
「別に、そのようなことは何もありません」
 私たちは、ガッカリして一万円払って組合員になった。

 つな引き、リレー、とプログラムは次第に進んでいく。近所のおばあちゃんたちがすすめてくれるきんぴらや漬物を楽しみながら、私が出たのは玉入れと、みんなでジャンプという集団ジャンボ縄飛び、夫は、ムカデ競走だった。
 夫は、カメラの仕事のときはワークブーツ、畑作業のときは長靴か地下足袋しか履かない。今朝になって、スポーツシューズを持っていないことに気づいた夫の足元は、地下足袋である。トレーナーなども嫌いだと言って、持っていない。
 作業ズボンに地下足袋姿、丸坊主にアゴ髭スタイルの夫は、いやが上にもムラでは目立つ運動会ファッションだった。
 運動会の龍ケ谷の成績は、どリから二番目。それでも終わると、集会場で酒の慰労会がある。夫は、酒があまり強くないので・みんなの写真を撮ったりする。カラオケ大会の席などでも、カラオケが大嫌いなので、照明係を引き受け、難を逃れていた。

 芋、小豆、大根。畑の収穫期である。里芋が穫れる季節になると、毎年二度は行うのが、芋鍋大会だ。東北地方では、芋煮会と呼ぶ。
 畑のゴボウ、ニンジン、ネギなどの野菜もたっぷり使い、味噌仕立ての鍋をみんなで愉しむ。今年はコンニャクも手づくりなのがうれしい。三軒隣のおシゲさんからもらったものだ。
 山猫軒前の河原に石で即席のかまどを作り、鍋をかける。芋煮会に集まったのは、越生町にできた新しい友だちが中心だ。写真館の山口さんをはじめ、岩間さん家族。木工家の真田さん家族や、鍛金と陶芸の草地さん夫婦、革細工の佐藤さん家族、など。越生にはモノ作りの作家たちも少なくない。皆、私たちと同じ年代だ。
 山口さんを除けば、地元出身の人は少なく、ほとんどが、よそから移り住んだ人々だ。私たちのように山暮らしをしている人はおらず、皆、町の周囲に住んでいる。それぞれの理由からこの町にきた経緯を持っているが、住みついた理由には共通する点があった。
 必要なときには、都心に気軽に出かけられる距離。それでいて、創作活動のための工房や住居が、そう高くない値段で確保できる点。
 ムラの人、町の人。若い人からお年寄りまで。この町では多くの友だちや仲間たちができそうである。

『山猫軒ものがたり』 春秋社


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