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夕焼け小焼け №27 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

祖父は逝き、祖母は去った

            鈴木茂夫

 5月11日土曜日。

 ソフシス スグカエレ

 電報がきた。祖父が亡くなったのだ。すぐに大倉に戻った。
 座敷に祖父大八の遺体を収めている。享年80歳。枕元に円い桶が用意されている。座棺だ。
 瞑目している祖父の顔がすこし縮んだのではないかと見えた。
  大八は地元小原村の大草小学校を卒業すると、独学で中等学校卒業の検定試験に合格。挙母村からとくを迎え、長男広蔭、長女ふみ、次男勝海、次女栄枝設けた。
 大八は中等学校教員検定試験にも合格。市場集落の本城小学校の教員となり、校長にもなった。さらに中等教員検定試験に合格。一家は岡崎市に転居。岡崎の高等女学校で国語漢文を担当した。
 さらに大阪の市岡高等女学校で国語漢文を担当。それにより一家は市岡元町に移転した。55歳で定年退職した。  戦災のため家を失い、郷里の小原村大倉に戻っていた。

 長男広蔭は市岡中学を卒業、神戸高等商業(現・神戸大学商学部)に進み、ボートを漕いで名古屋出身の上村良一氏と親友の交わり。東京高商が東京商科大学(現・一橋大学)になるのを機に進学。卒業して大阪商船(現・商船三井)に就職。
 長女ふみは女学校を終え、将棋士の小林氏と結婚。

 次男勝海は市岡中学を卒業、大阪薬学専門学校(現・大阪大学医学部薬学科)に学ぶ。

 次女栄枝は、女学校を終え、建築家熊田氏と結婚。

 葬儀には大倉の人たちが集まってきた。大八と小学校で同級だったという老人が、
「なにせ大八さんは。背筋を伸ばして机に向かい、閑さえあれば本を読んどらしたぜ。わしらがものを尋ねると、それはそれは丁寧にきちんと答えてくれたもんや。こんな偉い人は二度と出るまい」
 数人の男衆が大八を持ち上げ、手足を折り曲げて棺桶に収めた。
 菩提寺の廣園寺から和尚の小松禅龍師が3人の従僧と共に見えた。
 「これが大八さんの戒名です」
 教導院大円融照居士

 禅龍師が曲録に座った。葬儀の始まりだ。大悲心陀羅尼だ。和尚の声が流れる。
 
 南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶
    なむおりやーぼりょきーちーしふらーやー。ふじさとぼーやーもこさとぼーやー。

    3人の従僧が、それぞれの楽器をならす。
 
 チン ドン ジャラン  と鳴り響いた。

 生死往来雲変更 迷途覚路夢中行 元師一句猶余得 梁木泰山不撐                   
  しょうじおうらいくものへんこう めいずかくろ むちゅうにいく 
  げんしのいっくなおあましえたり りょうぼくたいざんついにささえず

 和尚が深く頭を下げた。会衆が焼香。
 数人が座棺を持ち上げて棒で担ぎ、家の横の墓地へ向かう。私は喪主だからその先頭に立った。その後ろに祖母とくが続いた。墓地には既に穴を掘ってあった。座棺を穴に収めて葬儀は終わった。その時、涙がこぼれてきた。

 囲炉裏を囲んで祖母と母と私。薄明るい電灯の下で夕食だ。その時を待っていたように、祖母が口を開いた。
 「お祖父さんを送ったから、わしの仕事も終わりました。わしはこれから奈良県王寺の勝海のところに行くでな。後のことはよろしく」
 しっかりとした口調だ。よく考えてのことなのだろう。
 母がそれに応じた。
 「鈴木の家は、長男の広蔭が受け継いでいます。戦地に行ったきりで、消息は分かりません。生死がはっきりするまでは、私たちとこの大倉で待ちましょう」
 「幸枝さん、わしは広蔭の消息がどうなるかは関係ない。はっきり言って、わしはあんたたちが好かんのや。勝海と嫁の君枝さんは、わしに優しくしてくれる」
 祖母は言うだけのことは言ったという風情。とりつく島はない。
 翌日一番のバスに乗って祖母は去った。


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