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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №119 [文芸美術の森]

         明治開化の浮世絵師 小林清親
             美術ジャーナリスト 斎藤陽一
                  第2回 
      ≪詩情豊かな「光線画」5点のデビュー作:その1≫

 明治9年8月、小林清親は、版元・松木平吉のもとで、新しい感覚の風景版画5点を発表します。江戸から東京へと移り変わる風景を主題に、光と影が織りなす様相を繊細にとらえた新機軸の作品でした。この5点の連作は、それまでの浮世絵には見られない斬新なものと評判となり、「光線画」と言われたのです。これら連作5点を順に紹介します。

 まずはじめは「東京銀座日報社」(下図)

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 人力車の左後方の建物が、東京で初めての日刊紙「東京日日新聞」を発行した「日報社」。
これも明治という新時代を象徴するものでした。通りにはいくつもの石造りの洋館が立ち並び、これまた明治に登場した新しい乗り物である「人力車」や「馬車」が走る。いかにも開化期らしい光景ですが、明らかに当時のパターン化された「開化絵」とは異なる独自の感覚が見られる。

 空にも、建物にも、通りにも、春の穏やかな光がみなぎり、暖かな空気さえ感じられる。車道には、明るいところと影の部分が交錯し、陽光の変化を繊細に反映している。光に対するこのような鋭敏な感性こそ、当時の「開化絵」とは大きく異なるものでした。
 「構図」には、西洋風の「線遠近法」が用いられているだけでなく、遠くに行くほど薄い色を使うことによって「空気遠近法」による奥行き感が生まれています。
 霞むような春の景色の中で、人力車とそれに乗る女性の「赤」が画面を引き締める。この「赤」は、当時流行の「開化絵」(「赤絵」)によく使われた色ですが、清親のこの絵では効果的なアクセントとなっています。

詩情豊かな「光線画」5点のデビュー作:その2≫

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「光線画」デビュー連作の2点目は「東京新大橋雨中図」(上図)。

清親が幼少年時代から親しんできた隅田川と、そこに架かる「新大橋」を主題としている。雨がそぼ降る日の微妙な光の様相をとらえ、雨の日特有のしっとりとした空気感さえ伝わってくる。薄墨を使ってぼかし刷りをした雲の表現も繊細、この絵の情感を高めている。水面もまた精妙な「ぼかし」技法で表現され、波がゆらぎ、そこに映る船や橋の影もゆらいでいる。まるで水彩画を思わせ、それまでの錦絵には見られない新鮮な絵画世界が生まれています。

 画面全体が雨に煙る風景の中、蛇の目傘をさし、赤い蹴出しを見せて歩みゆく女性の後ろ姿は、鮮やかなアクセントとなっているだけでなく、過ぎ去ってゆく時代への哀惜感のような情感をもたらしている。
 清親にとって、隅田川界隈は様々な思い出を育んだ場所であり、とりわけ懐かしいところだったでしょう。川は、朝昼夕と刻々と変化する光を反映して、さまざまな表情を見せる。それが清親の光に対する繊細な感受性を育んだのです。

≪詩情豊かな「光線画」5点のデビュー作:その3≫

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 「光線画」デビュー連作の3点目は「東京橋場渡黄昏景」(上図)。

 この絵も隅田川が舞台。浅草寺の北にある「橋場の渡し」が描かれる。川を行く渡し船は、東岸の向島から、こちら側、西岸の渡し場の橋場に向かって来るところ。
 
 時刻は夕暮れ時。沈みかかった夕日を浴びて、すべてが黄昏色に染まっている。
 清親は、光が柔らかい陰影を作り出す効果をねらって、はっきりとした黒い輪郭線を使っていない。この絵では輪郭線が使われないところが多いが、輪郭線を使った部分では淡いセピア色を用いています。
 さらに、渡し船や対岸の木々などにはオレンジ色を施している。これらによって、夕日に照れされてすべてが黄昏色に染まる夕方の光景を美しく表現している。

≪詩情豊かな「光線画」5点のデビュー作:その4≫

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「光線画」デビュー連作の4点目は「東京小梅曳船夜図」(上図)。

 現在の墨田区向島界隈に、かつて「曳船川」(ひきふねがわ)と呼ばれた水路がありました。当時、そこでは、川を下った船を上流に曳いて戻る「曳船」の光景が見られた。現在、川は埋め立てられて道路となり、「曳船通り」と呼ばれています。

 この絵に描かれている場所は「小梅堤」と呼ばれたあたり。
既に夜のとばりが降りた時刻、月明かりに照らされて、仕事を終えた船頭夫婦が綱で船を曳いて帰る姿が描かれる。
 川の上流には、小さな家が黒いシルエットとなって見え、そこから洩れる灯りが川面に揺れている。そこには、船頭夫婦の家があるのだろう。「一日の仕事もこれで終わった!あそこには憩いが待っている」というしみじみとした情感が伝わる。

 小林清親は、「夜の光」についても様々に描き分けた画家でした。
 この絵では、絶妙な「ぼかし技法」で描かれた夜空には月が輝き、星がまたたいている。木々はシルエットで影絵のように表され、川の両岸も薄墨色に沈む中、川は一筋の白抜きの帯のように表わされ、きわめて斬新な夜景となっています。

≪詩情豊かな「光線画」5点のデビュー作:その5≫

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 「光線画」デビュー連作の最後、5点目は「二重橋前乗馬兵」(上図)。

 背景は、明治2年から「天皇の皇居」となった「江戸城」。その堀に架かるのが二重橋。
 ここは、10年ほど前までは、幕臣・小林清親が仕えた徳川将軍家の居城でした。
 今、その手前を、西洋式の服装をした近衛兵が馬に乗って駆け抜け、それを着物姿の少女が小走りに避けようとしている。
 これは、「洋装の騎馬兵」と「着物姿の少女」という「和洋の対比」をねらったモチーフでしょうが、一方、今、皇居を護る近衛兵は、もしかすると新政権を担う薩長土肥の藩士かも知れない、と考えると、そこに、「新しく力を持った強いもの」と「滅びゆく小さなもの」という対比を読み取るのも面白い。旧幕臣・小林清親がこのような光景を見る時、おそらく、その胸中には複雑な思いが去来したことでしょう。

 この絵で清親は、近いものは輪郭線を使ってはっきりと描き、遠くのものは薄い色でぼんやりと描いて遠近感を出している。濃淡の灰色を使い分けて石垣の立体感を出しているところも新しい感覚ですが、前景の乗馬兵と少女は平面的に貼り付けたように描かれており、背景の立体感とちぐはぐなところが何となく可笑しい。

 次回からは、これ以降の小林清親が次々と生み出していった「光線画」の数々(「東京名所図」シリーズ)を紹介していきます。
(次号に続く)


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