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郷愁の詩人与謝蕪村 №19 [ことだま五七五]

夏の部 4

         詩人  萩原朔太郎

飛蟻(はあり)とぶや富士の裾野(すその)の小家(こいえ)より
 広茫(こうぼう)たる平原の向うに、地平をぬいて富士が見える。その山麓(さんろく)の小家の周囲を、夏の羽蟻(はあり)が飛んでるのである。高原地方のアトモスフィアを、これほど鮮明に、印象強く、しかもパノラマ的展望で書いた俳句は外ほかにない。この表現効果の主要点は、羽蟻という小動物。高原地方や山麓の焼土に多く生棲(せいせい)していて、特に夏の日中に飛翔(ひしょう)する小虫を捉(とら)えた着眼点にある。即ち読者は、羽蟻という言葉によって、そうした高原地方の、夏の日中の印象を与えられてしまうのである。次にその飛翔している空を通して、遠望に富士を描き出しているので、山麓の小屋と関聯(かんれん)して、平原一帯の風物が浮びあがって来るのである。蕪村はこの構成を絵から学んだ。しかし羽蟻は絵に描けない。絵の方では、この主題を空気の色彩やトーンで現すのだろう。

閑居鳥(かんこどり)寺(てら)見ゆ麦林寺(ばくりんじ)とやいふ

 夏の日の田舎道、遠く麦畑の続いた向うに、寺の塔が小さく見える。空では高く、閑居鳥が飛んでるのである。この風物を叙するために、特に「麦林寺」という固有名詞を出したのである。こうした詩の技術。或る風物を叙する代りに、特に或る特殊な固有名詞を使用するのは、昔から和歌や俳句に多く見るところで、日本の詩の独特な技巧である。西洋の詩では、韻律上の美を目的として、特殊な固有名詞を盛んに使うが、日本の歌や俳句のように、内容(情想)のイメージにかけて、表象上の効果に用いるものは、一般に見て尠(すくな)いようである。

卓上の鮓(すし)に目(め)寒(さむ)し観魚亭(かんぎょてい)

 「卓」という言葉、また「観魚亭」という言葉によって、それが紫檀(したん)か何かで出来た、支那風の角ばった、冷たい感じのする食卓であることを思わせる。その卓の上に、鮮魚の冷たい鮓が、静かに、ひっそりと、沈黙して置いてあるのである。鮓の冷たい、静物的な感じを捉とらえた純感覚的な表現であり、近代詩の行き方とも共通している、非常に鮮新味のある俳句である。なお蕪村は、鮓について特殊な鋭どい感覚を持ち、次に掲出する如く、名句を沢山作っている。

『郷愁の詩人与謝蕪村』 青空文庫



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