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住宅団地 記憶と再生 №25 [雑木林の四季]

16・森の団地オンケルトムス・ヒュッテWhldsiedlung Onkel Tbms Hdtte(Zehlendorf.  Argentinische Alle,Onkel-Tom-Str.,Riemisterstr.14169 Berlin)1

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 「住居の理想は」と問われてもすぐには答えられないし、頭に描くこともできないが、ある光景に出会って「これだ」とひらめき、イメージが開けることはある。そんな経験をしたのが、1990年10月ツェーレンドルフのオンケルトムス・ヒュッテ団地を訪ねたときである。魅せられたのは、住宅の建物だけでなく、家並みをとりまく環境、地域の雰囲気をふくめてである。それから20年たって2010年と16年にも訪ねて団地のなかを歩きながら、その魅力は何なのかあれこれ考えてきたが、いまも筋道立てては言いあらわせないでいる。しかしわたしの「理想の原点」であることに変わりはない。世界遺産には登録されていないが、それとは別にこの団地だけは印象を書きとめておきたい。
 森の団地オンケルトムス・ヒュッテ(アンクル・トムの小屋)は、ベルリンの南西部、森が広がり、湖が点在するグリューネワルトに近い。最初に訪ねたのは、秋の日の夕暮れ、写真家のマリオがあそこが母校とベルリン自由大学を指さしながら連れていってくれた車から降り、しばしその光景に呑み込まれたように眺め、つよい印象を脳裏に刻みつけただけで、いまとくに記すべきことはない。

2回目は2010年1月6日、雪が降りつもっていた。都心から地下鉄U3で30分はどの、駅名は団地と同じである。地下鉄といってもこのあたりは掘割になっている。プラットホームから中地階、地上まで駅構内はそのまま長い商店街でもあり、花屋、菓子屋、文房具屋、雑貨屋、八百屋、洋品店、コーヒー店、クリーニング店、等々なんでもある。この日は団地の、線路をはさんで南側しか見ていないが、おそらく北側もふくめ商店街は近辺ではこの「エキナカ」しかないのだろう。
 アカマツ林のなかに白樺の並木、木々は雪をかぶり、雪のなかを歩いた。歩いていて、道路や植樹は新たに設計したのではなく、もとからの道や樹木はそのままに、その空閑地に住棟を設計したように思えた。カープした道にはそれに沿って住棟も曲線をえがく。住棟は木々と、雪がとければ緑地のあいだに疎らに建ち並んでいる。

広い道路沿いには3階建てアパート、狭い路地沿いは屋根裏部屋のある2階建ての連続戸別住宅である。その配列は非対象的というか変化をみせている。すべて平屋根の低層、各棟は比較的短く、とくにテラス住宅各戸の裏庭は広く、その日はいちめん雪におおわれ、住棟が疎らに感じられた。雪景色のなか、サンタクローズがやってくる煙突をまだ見かける。カッへルオーフェン(タイル張り暖炉)は撤去しても、タイルの一部は残しているにちがいない。

戸別住宅もアパートもその裏庭、中庭は低い金網か生垣、鉄扉で閉じられているが、外からうかがうことはできる。裏庭に小屋や遊具を備えたり、テラスを改造したり、サンルームを増築している家もある。これまで見てきた他の団地にはないバラエティ、風情を印象づけられた。
 訪問3回目の2016年11月19日は、秋も深まっていた。団地は地下鉄に沿って東西にはしるアルゼンチン通りと駅前で交差し南北につうずるリーマイスター通りに四分されている。この日は団地北側の東区画を歩いた。この区画は第3工期(1929~30年)に造成した第5区画にあたり、もっぱらブルーノ・タウトの設計として有名であり、くわしい設計資料が入手できたので参考にした(ビッツ他『ッェーレンドルフのオンケル団地』Pitz,H.u.a.=Bezirk Zehlendorf. Siedlung Onkel.)。
 概ね東西400メートル、南北250メートルの長方形をなし、西はリーマイスター通りに面し、北はアム・へ-ゲヴインケル、東はホルツングスヴェク、南はホーホズイツヴェクにかこまれ、そのなかを5本の道路が南北につうじている。南の道路沿いには10~15戸ユニットの住棟が6棟、間隔をおいて1列に、北は2~4戸の短い住棟が何棟も千鳥(ジグザグ)に並び、内側は5本の道路をはさんで6~8戸の住棟が3棟ずつ向きあっている。なかでも住棟の端の住戸はそのタイプや配置、高さ、色彩などに変化をつけ個性化することで、家並みに立体的なリズムをあたえている。この様式は、タウトが同じ時期に着手していたカール・レギーン団地でも見せた。またここでは、道路に接した端の住戸を半戸分ほどセットバックさせて、道路が交差あるいは曲折するあたりの空間を広くとっている。すでに1920年代にタウトはクルマ社会の到来を予見していたのであろうか。道路に面した玄関口沿いは低い植裁が連なり高木は少ないが、裏の金網にかこまれた専用庭には思いおもいの草木を植えている。春夏になれば緑いっぱいになるのだろう。わたしが歩いたのは木の葉が落ちてしまった季節、ぐるりを見通すにはちょうどよかった。
 住宅はすべて屋根裏部屋つき2階建ての連続戸別住宅であり、それに地下室があり、道路側玄関の裏側はガラス屋根のあるテラスにつづいて専用庭になっている。住宅タイプは2つとその若干のバリエーションがあり、この区画の総戸数419戸のうち最多の305戸のタイプは、戸あたり専有地面横は170.00㎡、建物面積42.50㎡、庭園は125㎡の広さである。居住面積は3室と物置き、キッチンと浴室、廊下で85.99㎡、テラスは12.18㎡である。もう1つは88戸、専有地350㎡、5室その他で居住面積106㎡、テラス14.68㎡のタイプである。
 この区画の住宅のタイプは、より経済性、合理性をもとめたのか、他の区画にくらべてもむしろ画一的、単調であるが、それだけに画一性、単調さを破って多様性をつくりだし、個性美を高めるために、タウトは、とくに玄関と窓のデザイン、全体としての色彩設計に意欲を燃やしているのが分かる。南北に並ぶ住棟の色彩は、東向きの外壁は灰緑色に、西向きは赤褐色に塗られている。冷たい朝の陽の光と午後の暖かく快い陽射し――日照と色彩がかもし出し、住空間を彩る効果をタウトは追及した。

北のジグザグ住棟は外壁すべて黄色、南に並ぶ住棟は、南面は白、内向きは黄色、各棟両端だけは青色に塗り分けられている。外壁の色とともにその窓枠のデザインと彩色は、住戸を個別化し、道行く人を楽しませてくれる。赤褐色の外壁にある窓枠は外枠から白、黄、赤、外壁が灰緑色なら窓枠は黄、赤、白の3色が使われている。黄色やベージュの壁面に黒白黒で彩った窓枠も、デザインの明確さを際立たせ、図形的な印象を強めている0玄関の扉とその枠取りも、外壁の色とのとりあわせで多彩に塗色されているが、扉の上部の欄間の横木だけはすべて鮮やかな赤色に統一され、統一性のシンボルのように多様性を引き締めている。色彩建築のマイスターとしてのタウトの本領は、この区画でもっとも体系的、集約的に発揮されていると思う。
 さきにフアルケンベルクの色彩、ブリッツの平屋根にたいし市区当局、建築業界からの反発、抵抗がいかに執拗で、タウトが「堅忍不抜の闘争と無際限の談合」をよぎなくされたかは書いた。しかし団地が完成すると「絵具箱ジードルング」と有名になり、ベルリン市長ベッスが「宗旨替え」をしたことをタウトは快くむかえた。とはいえタウトと「ノイエス・バウエン(新しい建築)」派による団地建設への攻撃が止んだわけではない。オンケルトムス・ヒュッテ団地も、その建設着手から完成後も、干渉、攻撃は絶えなかった。タウトが亡命した後、ヒトラーとシュペーアは、タウトの近代建築と色彩を「退廃芸術」と排斥し、「オウムの団地」と名づけて非難した。
 わたしがオンケルトムス・ヒュッテ団地を訪ねるときは、近くのダーレムやリュッケ(橋)」美術館にも立ち寄ることが多く、閑静な雰囲気のなか小豊かな体験をするばかりで、団地ができるまで、できてからの経過は、記録にたよるほか知る由もない。少しずつ分かってくることで、木立ちのなかの古びた家並みも、甦ってわたしのまえに出現する。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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