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地球千鳥足Ⅱ №36 [雑木林の四季]

おばちゃんあの時、有難う!
 ~アルゼンチン共和国②~

       小川地球村塾村長  小川律昭

 カンタス航空でシドニーからブエノスアイレスに到着、翌日ウシュアイアに飛ぶ旅程を組んでいたため、ブエノス空港案内所で近郊の宿を探してもらった。車での送迎付き88ドル、なんと鶏の鳴き声で起こされる田舎だった。13年前のカラファテ行きはリオガジエゴスからバスでしか行けない場所だったが、今はカラファテ経由、ウシュアイア行きの飛行機便がある。無断でカラファテで降りようと考えたが、再度乗る時にわかって乗機拒否されても困るので乗務員に訊いたらやはり駄目だと言う。飛行機は列車のように途中降りはできないシステムと知り、ウシュアイアに着いてからカラファテ行き航空券を買い直した。
 翌日、タクシーでぐるぐる探し回って、13年前に泊まったモニカおばちゃんの宿へ。周辺や宿はすっかり変わっており道路も舗装されていた。おばちゃんは覚えていた。抱き合った。劇的な再会であった。13年前、宿を取り、背中に激痛が走り、5日間お世話になった懐かしの宿である。背中をさすり、病院に案内してもらった。
 現在のカラファテは氷河観光ブームで街も大きく膨れ上がり、宿も35軒から153軒へと増えて様変わりし、おばちゃんの宿も大きく増改築して立派になっていた。かつて彼女は遠距離バスが着くたびに客を勧誘するためバスターミナルへ行っていたが、インターネットの発達でその必要もないらしい。2泊したが、初日におばちゃん夫婦をレストランに招待した。「13年前お世話になりました!」と。レストランの経営者は感動してシャンパンをプレゼントしてくれた。おばちゃんは喜んで会う人ごとに私との経緯を語り、お礼にやって来た日本人の義理堅さ、奇特さを自慢していた。過去にない体験でよほど嬉しかったのだろう。私も長年の心の負担が収まった。やるべきことはやっておかないとね。今度は 「貴方の100歳の祝賀会に日本にお祝いに行くよ!」とおばちゃんは言った。ペリト・モレノ氷河には立派な観覧席が新しく作られており、高さ60メートルぐらい、全面の幅100メートルぐらいの氷柱が連なった絶壁を見上げたり見下ろしたりして楽しめる。
  地球最南端の街、アルゼンチンのウシュアイアは山々が雪に覆われ強い風が吹く港街。南極まで1000キロ、ピーグル水道を通ってロボス島、ハハロス島、エクレール灯台に船で行く。島々にアザラシの集団あり、ペンギンの群れも飛ぶ厳寒の地だ。フリーポートゆえ、輸入品が氾濫している。
3回目の訪問である。真下にせせらぎを聞きながら雪の山中を歩いたり、美味しい海産物を頂いたり、ウインドーショッピングも楽しめる所。とあるお店で日本人のいることを知り訪ねてみた。近くまで来ると通りがかりの人が「日本人の店」と知っていた。石段を上がる見かけは普通の家、中には所狭しと食品や日用品があった。彼は最初怪訝そうに私たちを見たが、電話をしておいたので奥に通してくれた。沖縄出身のシニア、玉城さん、この地球の最果てに来た経緯や年齢など訊いたがそれには答えず、「人間、歳ではない。今何をしているかが重要なのだ。なるべく人のためになりたい」と人生観を語った。彼はいつも地の果てから日本を見ている。
「日本人は無から有を生み出す人種だ。戦後の復興を考えれば、今回の大震災からもいずれこの辛苦を肥やしにして立ち上がるはずだ。私も多難の生い立ちだったが小さい店を持って25年、合気道や日本語を教えている」と。家族のことは語らなかったが、言葉の端に悩みも垣間見えた。会話中次々と客が来て忙しく立ちまわり、繁盛している店と感じた。煙草のバラ売りもやっていた。帰る折、我々が店でビール、果物、水など買おうとしたら、「計算は済んだ」と言ってお金を受け取らなかった。苦労されたであろうに、その人間性に頭が下がった。人のために生きようとする意欲に彼の生き甲斐を見た。
          (旅の期間‥2012年 律昭)

※玉城さんは「世界の村で発見!こんなところに日本人」というテレビ番組 に出演されたご本人です。

『地球千鳥足』 幻冬舎



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