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山猫軒ものがたり №29 [雑木林の四季]

草取りゲーム 2

         南 千代


 稲も野菜も順調に伸びている。ついでに草もスタスク。除草剤や農薬の類は、いっさい使わないので、夏の恐怖はもっぱら草取りとなる。
  特に苦労しているのが、田んぼと小豆畑だ。小豆畑はマメに草取りに行けないため、行くと、この前草を抜いた筈なのにと、驚くほどの成長スピードで草が生えている。感心するほどに元気だ。
  別に草に恨みがあるわけではないけれど、作物のためには抜きたくなる。最初は、タッタッタッとピッチも速く    すすむが、夏の炎天下で一日中やっていると、さすがにまいる。
 が、頻繁に往復できないだけに、やれる時にがんばってやっておかないと、と思うと涼しい時間だけを選んでなどと悠長なことも言ってられない。もう最後は、地面に這いつくばっての草取りとなる。
 ヒザをついて這いつくばれる地面がある畑は、それでもまだよい方だった。田んぼになるともう最悪。稲の根元にしっかりしがみついたコナギやカヤツリグサを、泥田の中を這いずりながら取っていく。疲れても水の中では気軽に腰も下ろせない。かがんだ顔の頬のあたりを、稲の葉がチクチタさして、汗がしみる。
 草は抜いても抜いてもまた生える。ようやく全部の田や畑を一通り抜き終わった頃には、最初に抜いたあたりの草がまた育つのだ。まさに抜きつ抜かれつの草取りゲームとなる。
 夫は朝夕の涼しい時を選んでの草取りができるが、私はできない。この一帯には涼しい時間にはブユが多い。二ミリほどの、ほんとに小さな虫なのだが、私はこの虫に刺されると、小指の先を刺されただけで、腕中パンパンに腫れ上がるほどかぶれてしまう。一度など、唇を刺されてタラコどころかゴムタイヤのように唇が腫れ上がり、仕事で人に会うこともできなくなったことがある。
 「ブユでは、こんなにまでは腫れないんだけどねえ」
  病院では、最初、疑わしそうにそう言った。しかし、何度も駆け込むうちに信じてくれた。地元の人や夫は刺されても、腫れやカユミは蚊より多少大きいかな、の程度なのだ。
 田のあぜで時おり見かけるマムシなどは、こちらが注意して避けさえすれば、むやみに人を襲ったりはしない。その点では、ブユよりマシだとさえ私は思う。
 ブユは、蚊と同じで雌だけが、その生理的欲求から吸血する。こういう虫は、こちらが何も害を加えなくても刺してきて、始末が悪い。なるべく、出現する時間帯を避けるか、肌を出きないのが唯一の防御法であった。虫よけスプレーは、汗で流れたり、ときに私はカブレるので使えなかった。
 結果、ブユの少ない時間、つまり日中の最も暑い時間に、万一の用心のために長袖に長ズボン、靴下、軍手をし、首は襟を立ててタオルを巻き、頭は蜂よけのネットつき帽子をかぶっでの作業となる。炎天下、完全防備ファッションで草取りをしながら、私はブユを呪った。ほんとに、血ならいくらでもやるから、毒を入れないでほしい。
 よその田や畑では、涼しい顔をして除草剤や農薬散布。二、三時間もすればさっさと引き卜げる。いいなあ。
 あまりにも疲れ果て、畳のサイレンが鳴っても、家にもどって食事を作る気にもなれないときがあった。田んぼから二キロほど先にあるうどん屋で昼をすまそう、ということになった。
 軽トラックで向かう途中も、ふと私は思った.夫に言った。
 「ねえ、自給白足をめざす田畑仕事に忙しくて、疲れて外食するって、いいのかなあ?」
 「……。言われてみれば、そうだけど。あんまり疲れた時は、いいんだよ」
 夫はそう言ってくれたが、私は疲れた分だけ、意地でも家の台所で作らなければ気がすまなくなってしまった。そうしなければ、何のためにこんな思いをしてまで草取りをしているのかわからない、と思ってしまった。素直にうどん屋に行けばよいものを。
 その日の外食は結局、なしとなった。私は考えた。頭は使わないとはいえ、体が疲れすぎるのも、やはり精神衛生上よくない。田畑仕事は楽しくやりたい。意地になったら辛くなる。
 私は、草取りをエステクラブだと思うことにした。何しろ、特に田の草取りは、一時間もすれば全身玉の汗。まるで屋外サウナだ。一日やれば確実に一キロはウエイトダウンに泥んこパック。しかもタダ。おまけに、米や野菜まで提供してくれる。一石三鳥だ。何の生産性もないエステクラブよりマシな気がする。その上、まるでグアムかハワイで焼いたような小麦色の肌まで約束してくれるのだ。
 そう思い込んでしまうと、田に出かけるのもいく分かは楽しくなる。背中には、シャツを通してビキニの跡がもうクッキリついていた。ただし、上半身だけだったけれど。やはり、エステクラブの設定は、ちょっと無理だったかな。草取りにひと息つき、腰を伸ばそうとしても痛くてすぐには伸ばせず、姿勢はいきおい、ばあちゃんスタイルのまま泥田の中からあぜに這い上がる始末となった。
 この私たちの不恰好な様子は、近所の百姓の同情を少なからずかっていたらしい。ある日、田んぼに、近くの島田水道のヨツちゃんがやってきて田車をくれるという。田車とは、手押しでツメのついた金属の輪を回し、稲の条間の草を取っていくことができる、昔ながらの草取り機である。除草剤を使う現代では、不要品だ。納屋に眠っているから、使えと言う。
 ゴロゴロゴロと、泥田の中を押していけば、ツメに草がからまって抜ける仕組みだ。助かった。それからは、夫が田車を押し、私が田車では取れない稲の根元の草だけを、抜いて回った。
 少しラクになると、田の周囲の夏の植物にも、目がいくようになった。薄紫色の花をつけた草の葉をちぎってみると、ミントの香りがする。赤岩さんに聞くと、ハッカだと教えてくれた。やはりミントだ。自生しているのだ。でも、ここではハッカの名がふさわしい。さっそく摘んで、ハッカティーにする。ヤギのチーズや天然酵母のパンによく合った。
 田に引いた水路のそばに生えているのは、どう見てもクレソン。和名では、オランダ水からし。これもサラダや肉料理の付け合わせに、そのホロ苦い味がおいしい。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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