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郷愁の詩人与謝蕪村 №18 [ことだま五七五]

夏の部 3

           詩人  萩原朔太郎

広庭(ひろにわ)の牡丹(ぼたん)や天(てん)の一方(いっぽう)に

 前の句と同じように、牡丹の幻想を歌った名句である。「天の一方に」は、「天一方望美人てんのいっぽうびじんをのぞむ」というような漢詩から、解釈の聯想を引き出して来る人があるけれども、むしろ漠然たる心象の幻覚として、天の一方に何物かの幻像が実在するという風に解するのが、句の構想を大きくする見方であろう。すべてこうした幻想風の俳句は、芭蕉始め他の人々も所々に作っているけれども、その幻想の内容が類型的で、旧日本の伝統詩境を脱していない。こうした雄大で、しかも近代詩に見るような幻覚的なイメージを持った俳人は、古来蕪村一人しかない。

たちばなの昧爽時(かわたれどき)や古館(ふるやかた)

 五月雨頃さみだれごろの、仄暗ほのぐらく陰湿な黄昏たそがれなどに、水辺に建てられた古館があり、橘たちばなの花が侘わびしげに咲いてるのである。「水茎の岡の館に妹(いも)と我と寝ての朝あさげの霜の降りはも」という古今集こきんしゅうの歌と、どこか共通の情趣があり、没落した情緒への侘しい追懐を感じさせる。

魚臭(うおくさ)き村に出(いで)けり夏木立

 旅中の実咏(じつえい)である。青葉の茂った夏木立の街道を通って来ると、魚くさい臭においのする、小さな村に出たというのである。家々の軒先に、魚の干物でも乾(ほ)してあるのだろう。小さな、平凡な、退屈な村であって、しかも何となく懐かしく、記憶の藤棚ふじだなの日蔭ひかげの下で、永く夢みるような村である。

『郷愁の詩人与謝蕪村』 青空文庫




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