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山猫軒ものがたり №28 [雑木林の四季]

草取りゲーム 1

            南 千代

 田の準備が始まった。
 まず、田自体の準備の前に、開普請がある。これは、一帯に田を作る人々が共同で行う作業で、田に水を引く水路の修理や清掃などの普請である。
 みんなが集まったところで、田の「お隣りさん」たちにあいさつをし、同じ水路から水を引かせてもらうことの了承を取り、開普請に参加する。
 最初に水を入れるのは、苗代にする田だ。苗代を作りながら、一方で種モミの準備をする。種モミは、田を作り続けている場合なら前年のものを保存しておくが、初めてなのでもちろん、ない。農家から分けてもらった。農協で買う場合は一年前から予約が必要だ。分けてもらった種モミの品種は「日本晴れ」。
 この地区は、平野とはいえ山間部で水温が冷たく、田植えの時期も遅い。「日本晴れ」は、そうした気候風土に合う晩生種である。私たちは、うるち米と餅米を八対二の割合で作ることにした。
 あらかじめ水を吸わせ、目を覚まさせた種モミを苗代にまき、苗が出そろうまでに田植えをする水田の用意をする.田には、すでに鶏糞や待機ミネラルを含んだ貝化石の粉を入れ、スキやロータリーで耕してある。ここに水を入れるのだが、水は共同で使うので、自分の田ばかりに水を引くことはできない。
 周囲の田への水の入り具合いなどに充分気を配った上で、引いたり止めたりしなければならない。私たちは新入りなので、皆が水を引いた後に、田に水を入れる。ここは「水争い」や「水掛け論」「我田引水」のことばができるほど、何かとトラブルが起きやすい場面なので、気を使う。
 水が田に入ると、代かきをして泥面を平らにする。田の水深を一定にし、苗の根が空気にさらされたり、逆に溺れたりするのを防ぐためだ。機械で荒くかいた後、今度は熊手の先を平たくしたような代かき道具で、水平にならす。これらの道具は、隣近所の人が使っているのを見よう見マネで作った。
 毎年米作りをしている田なら、すでにある程度、地面は水平になっているのでラクだけれど、何年も使われていなかった田なので、代かき仕事は予想以上に手間どり、作業も大変だ。
 「いやあ、きついなあ。田植えまでの田にするのに、こんなにきついとは思わなかったよ」
 夫は、このところ毎日、全身泥だらけのクタクタになって田から帰り、夜は、まさしく泥のように眠りに落ちる。
 田植、蔓での作業は、まだまだある。あぜ塗りだ。ここからは、私も手伝える。代かき後の泥土をあぜに少しずつすくい上げ、水もれしないように塗り固める。私たちは、隣の田の赤岩さんがやることを終始眺めつつ、マネした。
 いよいよ田植、冬だ。夫のカメラマン仲間である柳田さんが加勢に来てくれた。彼は、出身が福島の農家であり、家の田植を手伝ったことがあるという。田植えの日、前の日に水を抜いておいた田の表面に、三十センチ四方にマス目の筋を引いた。
 苗代から、苗の腰と根を痛めないように苗を抜き、束にしてワラで縛る。縛り方も要領も、赤岩さんが実際にやってみせ、教えてくれた。赤岩さんは、龍ケ谷の下の大満という地区に住んでいる。とても温厚で親切な人だ。
 泥田に素足をそっと踏み入れる。足の裏でグニュグニュうごめく土を、指でしっかりつかみこんで歩く。くすぐったいような、気持ちが悪いような、いいような。慣れると、田の中やあぜ道をはだしで歩くのは気持ちがいい。
 束ねた苗を持ち、マス目の筋の交点に、一本または二本の苗を構、葺いく。三十センチ間隔に苗が、整然と並んでいく。時々腰を伸ばしては後ろをふり向き、進み具合を確かめつつ、植ぇていく。植え方にもコツがある。ただ土に苗をさしていけばよいのではなく、根をしっかりと土に押し込む。かといって、深植えは禁物で苗が浮き上がらない程度に浅く植える。なかなかむずかしいものだ。
 最初は爛れずに、スピードも出ない。四枚に分かれた田の、二枚目にとりかかる頃からようやくコツがわかってきた。
 機械植えのよその田は、植えた後は、田が青々としている。山猫軒の田は、疎楢の一本植えなので、植え終わっても田が青々としていない。ヒョロヒョロと細い一本の苗が、泥水の上にまばらに並ぶだけだから、茜色より泥色の方が勝ってしまう。
 しかし、密植を避けて稲自身が、その力を充分に出せる植え方にすることで、丈夫な稲が育つ。どの株も陽あたりや風通しが良ければ、病気にもかかりにくく、従って農薬散布の必要もない。と、なるはずだが、うまくいくかなあ。
 中島氏がすすめるだけあって、基本的な考え方は、自然卵養鶏法と同じである。後は、稲の力を信じるしかない。
 それにしても、まさか田植えまですることになろうとは、夢にも思わなかった。大半は夫の労力と努力とはいえ、自分の手で米まで作れるようになるなんて。
 田畑仕事をしていると、お茶の時間はほんとにうれしい。土手に腰をおろして、むすんできたおにぎりを食べるのは何よりの楽しみだ。今度は、このおむすびも自分たちで作った米になるのだ。よし、田植えは、あと半分。昼からもがんばろう。
 田植を終えたからといって、それで稲が育つわけではなかった。夫は、植えた次の日から朝に一回、夕方一回と田を見にいった。
 田植え後の三、四日は苗の根が土に活着するよう水を深くするが、上手に植えていなかった苗が水面にプカブカと浮いている。補植をする。水も暖かい日は浅く、寒い日や風の強い日は深く、と入れたり引いたり深さを管理する。水を入れておいたのに、引いてしまったのは、あぜにモグラが穴をあけ、水がもれてしまったせい。急いで埋める。などなど。田植え後の約一カ月は、毎日、目が離せない。
 私は、米作りというと、田植えと稲刈りしか想像していなかったが、その前後の田作りや苗育ての方が実際には、ほんとに手間がかかるのだと知った。

『山猫軒ものがたり』 春秋社


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