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郷愁の詩人与謝蕪村 №18 [ことだま五七五]

夏の部 2

          詩人  萩原朔太郎

夏の部愁ひつつ丘に登れば花茨(いばら)

 「愁ひつつ」という言葉に、無限の詩情がふくまれている。無論現実的の憂愁ではなく、青空に漂う雲のような、または何かの旅愁のような、遠い眺望への視野を持った、心の茫漠(ぼうばく)とした愁(うれい)である。そして野道の丘に咲いた、花茨の白く可憐かれんな野生の姿が、主観の情愁に対象されてる。西洋詩に見るような詩境である。気宇が大きく、しかも無限の抒情味に溢あふれている。

絶頂(ぜっちょう)の城たのもしき若葉かな

 若葉に囲まれた山の絶頂に、遠く白堊はくあの城が見えるのである。若葉の青色と、城の白堊とが色彩の明るい配合をしているところに、この句の絵画的のイメージがあり、併せてまた主観のヴィジョンがある。洋画風の感覚による構成である。

地車(じぐるま)のとどろと響く牡丹(ぼたん)かな

 牡丹という花は、夏の日盛りの光の下で、壮麗な色彩を強く照りかえすので、雄大でグロテスクな幻想を呼び起おこさせる。蕪村の詩としては
  閻王(えんおう)の口や牡丹を吐(は)かんとす
が最も有名であるけれども、単なる比喩(ひゆ)以上に詩としての内容がなく、前掲の句の方が遥かに幽玄でまさっている。句の表現するものは、夏の炎熱の沈黙(しじま)の中で、地球の廻転する時劫(じこう)の音を、牡丹の幻覚から聴いてるのである。

『郷愁の詩人与謝蕪村』 青空文庫



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