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山猫軒ものがたり №27 [雑木林の四季]

龍の住む谷 2

           南 千代


 「ここに、来てたんか。この犬コロたちは」
 梅本のコーさんが、夕方、バィクを止めて仔犬を眺めつつ言う。コーさんは、同じ龍ケ谷で伐木業を営む小沢さんの所に毎日通っているキコリさんだ。
「コーさん、知ってるの? この犬たち。どこの犬」
「幾んちか前から、下の山ん中で見かけてたんだ。どうも捨てられたらしいやな。おお、ここまで下ってきたか」
 コーさんが犬の頭をなでながら言った。山に捨てられた仔犬たちが道を下り、最初にたどりっいたのが山猫軒だったわけだ。為朝や華やガルシィアなど同じ仲間の姿に、安心して、ここに居座ることにしたらしい。冗談じゃないよなあ、山犬軒じゃないんだから。
「コーさん、犬は好き?」
「いんや、おら、犬はいらねえ」
 コーさんは、犬を押しつけられそうな気配を感じたらしく、バイクで早々に帰って行った。私は、猫の貼紙に「仔犬もいます」と、書き足して回ることにした。
 山は、犬猫の捨て場ではない。飼い手を捜す努力もしないで、まとめて捨てるなんて。もう、ホントに腹が立つ。
 夫が庭の隅に五匹の仔犬が入れるようなサークルを作ってくれた。新しい飼い主が見つかるまで、ここで元気にしてなさい。栄養失調気味の仔犬もヤギの乳で、一週間ほどすると何とかまともに歩けるようになった。
 柚の木が・白い小さな花をつけ始めた。柚畑を歩くと、ほのかに甘い香りが準っ。この小さな花を冷たい酒に浮かべ・愉しんでみる。柚は、その柔らかな新芽も刻んで薬味などに使う。限られた短い季節だけの楽しみだ。
 組内の八郎さんの家で、お茶をごちそうになった。
「目をつむって食ってみな」
 目を閉じて差し出した手のひらに、何か乗せられた。お茶受けらしい。口の中に入れた。漬け物かな、ピリリと辛い。何だっけ、この味。
「葉ワサビだ。まだ、知らねえだろ」
「作ってるんですか、それともどこかにあるの?」
「川っぱたに、うんと生えてらあ」
 龍ケ谷川は、幅二、三メートルほどの渓流で、水が澄み、ヤマメの姿も見える清流だ。その川沿いの林にたくさん自生しているという。
「摘んで、お湯をかけたままひと晩おくと、香りも辛味も出るんだ」
 奥さんのコウコさんが教えてくれる。沢沿いの山間部ならではの山菜だ。こうしてお茶を飲みながら、地元の昔や今の話を聞くのはおもしろい。私は、以前から気になっていたことを聞いてみた。
「ここは、どうして龍ケ谷という地名なんですか。そばのお寺も龍穏寺だし。龍に何か関係あるいわれでもあるんですか?」
「そうだいな、なんでも伝わるところによると昔、ここいらに悪龍が住んでてそれを坊主が治めたって話だけど。詳しくは、知らねえな」
 そうか。それで寺の名が「龍が穏やか」なんだ。
「梅本に上がる途中に、大きな岩があって川が深くなった所があるべ。あすこが龍淵って言って、岩の下に穴が開いててよ。その穴は、何でも飯能か秩父だかに通じてて、龍が行ったり来たりしてるという話だけんど」
 毎日、生活で目にしている川の、具体的な場所が話の中に出てくると、伝説が急に真実味をおびてくる。
 越生の町は「おごせ」と読む。名の由来に、尾根越しがなまって「おごせ」となったという一説もあるように秩父山地と関東平野のちょうど接点にある町である。
 越してきた頃、梅本の人に、「この先をずっと上がると、新宿の高層ビルが見える」と教えられ、パイクで林道を登ったことがある。ほんとだった。夫は、海も見えると言ったが、これはちょっとあやしい。
 町は、関東の北と南を結ぶ交通のポイントとして、また秩父との交易の中継地として古くから開けていたという.最初、町の様子を見た時、小さな町にしては神社仏閣の多い所だという印鈍を受けたが、寺社堂庵は古代中世に建てられたものが多い。さらに町内各所に縄文遺跡など原始古代の遺跡も点在し、住むほどに、歴史ある町であることがわかってきた。
 すぐそばにある龍穏寺も開基は、八〇六年という古い寺だ。寺の境内には、江戸城を築いた太田遺潅とその父道真の墓もあった。
 道灌は、一四三二年この龍ケ谷村の三枝庵で生まれたとか。三枝庵は、ムラに残る代官屋敷跡近くの山中に、その史跡が残っている。
 八郎さんは、道灌の血を引く縁者にあたるのだそうだ。地元では「かじやんち」という屋号で呼ばれていた。昔、鍛冶屋でもやっていたのだろうか。
 ムラでは同じ姓が多いためか、家は屋号で呼ばれることが多い。以前、山の上に家があったとかで「上ん台」、川に沿った家なので「川っ端」、隠居として建てられた家は「隠居んち」といった具合だ。
 また、個人名も、多分同じ理由からすべて、組内では姓ではなく名前で呼びあう。年配の目上のおじいちゃんをコーさんなどと呼んでよいものか、最初はちょっと抵抗があった。しかし、地元の人に習って思い切って、八郎さん、和子さんと口に出してみると、その人との距離がグンと近づいたような気がして、親しみが増した。

『山猫軒ものがたり」  春秋社



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