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夕焼け小焼け №24 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

台北第四中学

           鈴木茂夫

 父は台北への転勤に際し、私の転校先を調べていた。台北第一中学、台北第三中学は、一年の一学期現在では欠員はない。ただ台北第四中学だけが転校を受け入れてもいいと のことだった。台北第四中学は新しく創設された学校だ。転校すれば3期生になる。台北第一中学の隅の木造二階建ての建物を校舎としている。台北市郊外に校舎を新築する予定だとか。
 昭和18年8月はじめ、父に連れられて台北第四中学へ。転入試験を受けた。国語・数学につづいて英語の設問が出された。英字をブロックレターで書けとあった。私は驚いた。国語・数学もそうだったが、やさしすぎるのだ。でも、問題にはすべて回答した。答案を書き上げてまもなく、合格です、お引き受けしますと言われた。
 帰り道、帽子屋で台北第四中の制帽を整えた。徽章は中の真ん中に四が入り、帽子の胴に緑色の線が3本入っている。台北第一中は赤線が3本、台北第二中には線がない。台北第三中は白線が3本だ。昭和国民学校で席次を競った大沢三昭は台北第一中学の帽子をかむっていた。それを見かけると情けなかった。
 私はあまり勉強しなくなった。家ではもっぱら父の文学全集を読んでいた。それでも授業にはついていけた。2学期を終えた席次は12番といわれた。

 陸上競技部があると知ったので加入した。約30人の選手がいた。短距離、中距離、長距離に分かれて活動している。最上級の3年生が指導に当たる。私は中距離2000メートルを選んだ。放課後は一中のトラックを一中と交代で使う。
 これまで特に走ったことはなかったが、走るのは愉しくなった。台北帝大のグラウンドで、市内の中学の競技会があった。みんな頑張って5位になった。
  数人で走ると、私の前を行く男がいた。追い抜こうと速度を上げると、彼も軽く速度を上げる。追い抜けない。なんとか抜こうと頑張ったが、無理だった。
 ある日、2000メートルを走り終えると、ニッコリ笑って頭を下げた。
  「ボクは林志楊だ。ボクは高等科に通ったから君より2歳年長だ。三峡から通っている。自宅から駅まで、毎日走っているんだ」
  「高雄中学から転校してきた鈴木茂夫だよ」
 林君は人懐っこい。すぐ友達になった。そして姓ではなく、名で呼ぶようになった。
 ある日、
 「志楊君、君の家は何しているの」
 「ボクの家は昔から染物屋だ。三峡川に沿っている古い町並みのなかの一軒だ」
 「志楊君、君の街の三峡を訪ねたいな」
 「ああいいよ」
 台北駅から小1時間で三峡に到着。街に入ると、志楊君は話してくれた。
 「 三峡とは三峡渓、大漢渓、横渓の3つの河の合流点に街ができたんだ。古い家並みは赤い煉瓦組で建物の上部はバロック様式の装飾をしている。三峡老街という」
 三峡川のほとりで、
 「川を利用して布・樟脳・木材・お茶を台北などに送り出していた。中でも藍染めが盛んだったから、屋号に「染」の文字がある家もある。わが家はそうした建物の中の一軒だ」
 店の中にいた志楊君のお母さんが、丁寧に挨拶された。
 「この古い町並みの中心にあるのが『三峡清水祖師廟』だ。福建省の守護神清水祖師を祀っている。伝統的な5門3様式なんだ。5つの門と前殿、正殿、後殿からなる3殿がある。美しい廟だ。三峡の住民は、台湾一の廟と誇りにしている」
 私は山間の街・三峡に魅せられた。志楊君は親友となり、長い付き合いが始まる。 


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