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浅草風土記 №13 [文芸美術の森]

吉原附近 6

       作家・俳人  久保田万太郎

          七

 ……が、わたしは失望しなくってもよかった。入谷と山の宿とをつなぐ新開道路の、自転車、自動車、貨物自動車のはげしい行きかい。――その瀬戸の荒い波の中を乗越したとき、急にわたしは、いままでのあかるい日のいろの代りにしずかな月のひかりを感じた。
しずかに可嘆(なげか)しい夕月の旬を感じた…… とは何か?
 古着屋である、堅光地蔵のほとりの古着屋である、そこに四五けんかたまって並んだ「確実正札附」の古着屋である。
 その店さきに下った双子縞(ふたごじま)、唐桟柄(とうさんがら)、御召縮緬(おめしちりめん)。――黒八のいろのさえた半纏(はんてん)、むきみや、丹前。――帯の独鈷(とくこ)、献上、平ぐけ、印半纏(しるしばんてん)、長襦袢(ながじゅばん)、――その長襦袢の燃え立つようないろにまじった刺っ子、刺っ子半纏……
 その刺っ子である、刺っ子半纏である。――その刺っ子半纏の紺のいろの褪せである、その背を抜いた朱の色のっ古びである。そのまた主の色をつぶした紺のいろの――その紺の糸のいろの情の強さである…… はッきりそこに「三の酉」のあくる日をわたしは感じた。すでに来すぎている「冬」を感じた。浅草という土地を支配する「吉原」のいのちを感じた。――そうしてしずかに可嘆しい夕月の句を感じた。
「……通ふ子供の数々に或は火消鳶人足、おとっさんは別橋の番屋に居るよと習はずして知る共通のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねえと言ほれて、名のりや辛き子心にも顔あからめるしをらしさ、出入りの娼家の秘蔵息子寮住居に華族さまを気取りて、ふさ附き帽子面もちゆたかに洋服かるぐと花々しきを、坊ちゃん坊ちゃんとて此子の追従するもをかし、多くの中に龍華寺の信如(しんにょ)とて、千筋となづる黒髪も……」 ……「たけくらべ」の第一章である。

『浅草風土記』 中公文庫



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