西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №116 [文芸美術の森]
奇想と反骨の絵師・歌川国芳
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第11回 反骨と風刺の錦絵 その1
≪厳しい出版統制の中で≫
天保12年頃(歌川国芳45歳頃)から、老中・水野忠邦によって、風俗粛清、奢侈禁止、出版統制を主軸とする「天保の改革」が行われます。
これより50年ほど前の寛政5年(1793年)には、既に時の老中・松平定信による「寛政の改革」が行われており、同じような主旨の禁止令や統制政策が実施されましたが、今度の「天保の改革」は、浮世絵業界にとって、まことに手厳しいものでした。
すなわち:
◎役者絵や遊女、芸者風俗を描いた錦絵の禁止
◎出版・浮世絵は専ら「忠孝・貞節」を主題とすべし
◎色摺りの回数は7回から8回に制限
◎浮世絵の値段も16文以上は禁止(華美で高価な錦絵は禁止)
◎既に行われていた検閲制度をさらに強化する・・・
このような厳しい監視のもとで、浮世絵師や版元は仕事をしなければならなくなった。そんな「お触れ」が出ている最中の天保13年頃に、歌川国芳は下図のような錦絵を描いています。
「源頼光館土蜘作妖怪図」(みなもとよりみつやかた、つちぐも、ようかいをなすず)、大判3枚続きの錦絵です。病に伏す源頼光と宿直をする4人の家臣たちが描かれる。
病床にいる源頼光のうしろには、背後霊のように不気味な土蜘蛛がおり、頼光を糸でからみとろうとしている。土蜘蛛はさらにたくさんの妖怪を生じさせ、館を怨念で包み込もうとしている。
頼光の前にいる家臣、卜部季武(うらべすえたけ)は妖しい気配に気づいている。その左には三人の家臣。真っ赤な顔をしたのが「金太郎」こと坂田金時。囲碁の相手は渡邊綱。一番左の碓井貞光も、ひしひしと押し寄せる妖怪たちの気配に気づいている・・・
こんな具合に、国芳は、土蜘蛛が操る糸の端がつくる対角線を境に、右下部分に頼光主従を、左上部分に妖怪軍を描き分けています。
しかし、この絵の面白さは、国芳がつぎつぎと創りだしたさまざまな妖怪たちでしょう。国芳は、いかにも楽し気にひとつひとつを描いており、まさに百鬼夜行。現代なら水木しげる描く「ゲゲゲの鬼太郎」の世界。国芳はま
た、コミッククリエイターの先駆とも言える絵師です。
ところがこの絵が、思いもかけない社会的現象を引き起こしました。
卜部季武が着ている衣装の紋様が、「天保の改革」を進めている老中・水野忠邦の家紋と同じ「逆沢瀉紋」(さかおもだかもん)だったため、この卜部は「水野忠邦」を暗示するものであり、病床の源頼光は、病弱な将軍・徳川家慶である、といううわさが広まりました。
さらに、たくさんの妖怪たちは、厳しい改革によって取り締まられた人々の怨念である・・・という評判も高まり、江戸っ子たちは、妖怪のひとつひとつが何を示しているかという謎解きに熱中したのです。
あまりに世間の騒ぎが大きくなったので、版元は絵を回収するとともに版木を削ったため、版元にも国芳にもお咎めは無しに済みましたが、これ以降、国芳は、当局の要注意人物となりました。
もしかすると、版元も国芳も確信犯だったかも知れない、という気もします。
≪遊郭は雀のお宿≫
上図は、弘化5年、歌川国芳50歳の時に制作した三枚続きの絵「里すずめねぐらの仮宿」。これは「動物見立て絵」ともいうべきジャンルの絵で、雀を人間に見立てて、遊郭の様子を描いています。
「天保の改革」以降、しばらくは「遊女」や「芸者」など、花柳界風俗を描くことを禁じられていたことを想起してください。版元と国芳は、「それならば」と、雀の世界に置き換えて、吉原の様子を描いたのです。
「仮宿」とは「仮宅」のこと。この絵が描かれる前の年、弘化2年(1845年)暮に吉原遊郭は火災に遭っていました。その時、廓の外の民家を借り受けて「仮の営業」をすることが許されました。これを「仮宅」と言った。ところが、これがかえって人気を呼ぶ。民家という遊郭には無い雰囲気や独特の風情、格式張らない応対などで、結構、繁盛したのです。
この絵はおそらく「仮宅営業」の宣伝のために制作されたのでしょう。
ところがこの絵は公儀に問題視されました。
当時の検閲制度では、検閲を担当する掛かり名主が見て「検閲印」を押すことで出版できるというものでした。
このときの掛かり名主は渡辺庄右衛門だったのですが、庄右衛門が病気だったために、代わりに息子が「検閲印」を押すのを代行しました。
ところがその息子は、版元に請われるままに、着物の紋のように、絵の中の雀の着物に押してしまったのです。名主の息子にも、洒落っ気や遊び心があったかも知れない。
この絵に出てくる3人の「雀」の背中や袖のところに「渡」という文字が見えますね。これが「検閲印」なのです。それがいけなかった・・・
言い伝えによると、当時の北町奉行・遠山左衛門尉景元(あの遠山の金さん)の勘気に触れ、「そんなことで検閲が出来るか!」と名主はけん責を受けた上、「検閲の資格」を剥奪されたという。登場人物の紋所として「検閲印」を使うというのは、なかなか面白い趣向ですが、奉行所から見れば「この御時世に悪ふざけが過ぎる!」ということなのでしょう。
幸い、今度も、版元や国芳にはお咎めは無かったようですが、相変わらず、公儀からは「要注意人物」として目をつけられていたらしい。
次回もまた、世間を騒がせた国芳の錦絵を紹介します。
(次号に続く)
2023-10-30 22:49
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