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郷愁の詩人与謝蕪村 №15 [ことだま五七五]

晴の部 12

        詩人  萩原朔太郎

女倶(ぐ)して内裏(だいり)拝まん朧月(おぼろづき)

 春宵の悩ましく、艶(なまめ)かしい朧月夜の情感が、主観の心象においてよく表現されてる。「春宵怨(しゅんしょうえん)」とも言うべき、こうしたエロチカル・センチメントを歌うことで、芭蕉は全く無為(むい)であり、末流俳句は卑俗な厭味(いやみ)に低落している。独り蕪村がこの点で独歩であり、多くの秀(すぐ)れた句を書いているのは、彼の気質が若々しく、枯淡や洒脱を本領とする一般俳人の中にあって、範疇(はんちゅう)を逸(いっ)する青春性を持っていたのと、かつ卑俗に堕さない精神のロマネスクとを品性に支持していたためである。次にその類想の秀句二、三を掲出しよう。

  春雨や同車の君がさざめ言ごと
  筋すじかひにふとん敷しきたり宵の春
  誰たが為ための低き枕まくらぞ春の暮
  春の夜に尊き御所(ごしょ)を守もる身かな

 注意すべきは、これらの句(最後の一句は少し別の情趣であるが)を見ても解る如く、蕪村のエロチック・センチメントが、すべてみな主観の内景する表象であって、現実の恋愛実感でないことである。この事は、彼の孤独な伝記に照して見ても肯(うな)ずけるし、前に評釈した「白梅(しらうめ)や誰(た)が昔より垣の外(そと)」や「妹(いも)が垣根三味線草(さみせんぐさ)の花咲きぬ」を見ても、一層明瞭(めいりょう)に理解され得るところであろう。彼のこうした俳句は、現実の恋の実感でなくして、要するに彼のフィロソヒイとセンチメントが、永遠に思慕し郷愁したところの、青春の日の悩みを包む感傷であり、心の求める実在の家郷への、リリックな咏嘆(えいたん)であったのである。

『郷愁の詩人 萩原朔太郎』 青空文庫



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