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海の見る夢 №62 [雑木林の四季]

   海の見る夢
       ―白鳥はかなしからずや・・・-
                    澁澤京子

   白鳥はかなしからずや 空の青 海のあをにも染まず漂う 若山牧水

 バスで来る従妹を迎えるためにバス停のベンチで待っていたら、ベンチの隣に座っているおばあさんに話しかけられた。「新宿とか渋谷は混雑していて、この年齢になると出かけるのはいやですねえ・・」去年、新宿駅の構内を歩いていると、一緒に歩いていた夫の具合が急に悪くなりその場で倒れてしまった。携帯を持っていなくて、おろおろすること20分ほど・・ようやく親切な女性に声をかけられ、救急車を呼んでくれたのだとか。人はたくさん通るのに、なんと20分も誰からも声をかけられなかったのである・・それってなかなか怖い話ではないだろうか。もしも、自分が新宿駅で待ち合わせか何かで急いでいたら、もしかしたら私も見て見ぬふりをして通り過ぎたかもしれない・・と思ったら余計になんともいえない嫌な感じがしたのである・・それ以来、街ではなるべくお年寄りには声をかけるようにしている私(私もお年寄りに近い年齢だが)

日本には「他人(ひと)に迷惑かけるな」というのがあるが、最近のそれは、自分に向けるのではなく、他人を糾弾するために使われることが多い。その場合は、単に「他人から迷惑かけられたくない」のエゴイズムの表明に過ぎず、先進国の中でも日本の「孤独死」がダントツに多いのも、社会に対する無関心、無気力と、そうした自己防衛のエゴイズムが背景にあるんじゃないかと思う。

都会の人間は他人に無関心かというと、かつてはそうでもなかった。私が子供の頃の東京で、今のようにピアノの音がうるさいとか枯葉が落ちるとか文句を言う人がそんなにいなかったのは、逆に地域のコミュニティというものが存在し、人と人との信頼関係というものがあったからかもしれない。「他人に迷惑かけるな」と誰かが騒げば頭のおかしい人に見えるくらい、まだ人々が寛大で心にゆとりがあったのだ。また、良識的な大人の間には、ゴシップにむやみに関心を持ったり、他人のことを根ほり葉ほり詮索したり、勘ぐったりするのは「品がない」という暗黙の了解もあった・・つまり、いい感じに距離を保つ大人の付き合いというものが、かつては存在していて、人間というものが今ほどせせこましくなく、おっとりした人が多かったのだと思う。

利益優先と利便性追求につれ、日本人の心の荒廃がますますひどくなることに対し、いち早く警告していたのが、「野鳥の会」の中西悟堂(1895~1984)。赤坂の霊南坂に住んでいた幼少期の頃は体が弱く、爺やに背負われて小学校に通うほどの虚弱児だったという。虚弱体質を治すために秩父の寺に預けられ、野外で坐禅を組んでいるうちにいろんな野鳥が頭や肩にとまるようになり、それがきっかけで野鳥に親しむようになった。滝行をしているとお堂にいる和尚と家人の話声が聞こえたり、参道を通って寺に来る人が見えるという一種の超常体験をするが、のちに「野鳥の会」で科学の勉強をはじめた頃からそういった透視能力は一切消えたらしい。荒行ですっかり健康となり、深大寺に預けられる。その頃の中央線(当時は甲武鉄道)は、飯田橋から始まり、新宿(その頃は一日に10人乗り降りがあるかないかの鄙びた駅)、武蔵境の順に止まり、深大寺まで行くのには武蔵境で降りたらしい。雪の日、深大寺から四谷まで歩いてお使いに行ったというのだから、昔の人がよく歩くのには驚く。鳥や自然を好きになったのは、仏教よりもむしろ詩歌や芸術の影響で、懇意にしていたのが佐藤惣之助、萩原朔太郎、金子光晴(中西悟堂に弟子入り)若山牧水など詩人や芸術家が多く(中西悟堂も詩を書いていた)、「野鳥の会」を立ち上げたときも北原白秋、金田一京助などが発起人として名を連ねている。野鳥と波長の合う人は、詩人や芸術家と波長が合うのだろうか・・「野鳥の会」では、カスミ網猟を禁じたり、空気銃の規制など動物・自然保護を訴え、狩猟関係者とは対立した。(この辺で、カワセミなどまだ多くの野鳥が見られるのも、中西悟堂のたゆまぬ努力のおかげかもしれない・・)

・・無関心から自分を引き離すこと、それは感嘆を体験することだ・・子供のように。
                               モーリス・ズンデル
・・驚くという能力を失い、畏敬の念に打たれることができなくなった人間は死んだも同然である・・                          アインシュタイン

何も考えず無意識の反応のままに機械的に生きるのは、ただのゾンビなのであって、そうではなく、真の生を生きる人は、世の中にいったいどれだけいるのだろうか?間違いなく創造的な人生を生き、他人からも最良のものを引き出す能力を持つ人だろう。

生涯を通して中西悟堂は友人関係に恵まれていた。無欲で天真爛漫なその性格は、おそらく人を惹き付けてやまない魅力があったのだろう。少年時代の純白な心を、生涯持ち続けた人であったのだ。武蔵野(今の烏山近辺)の粗末な掘っ立て小屋で、ヘンリー・ソローのような内省的な生活を送ったり、一人でいる時間を大切にできる人間だからこそ、いい友人にも恵まれ、友人とのいい関係を持つことができたのだろう。中西悟堂は、偏見のない子供のような感受性を持つ、真の自由人だったのだと思う。

・・生態の研究が目的であろうと、冷徹な観察にとどまらず、慈しみの温かい心で観てやっても損ではなく、馴れたら馴れただけの習性を見せてもらえるという所得もあるということをあえて言いたい。~『愛鳥自伝』

「愛鳥自伝」の裏表紙には、中西悟堂がオナガに口移しで餌を与えている写真があって実に微笑ましい。家の広いリビングには何羽もの野鳥を放し飼いにしてあり、おどけもののホトトギスを病死させてしまった際の悔恨と切なさとか、片時も中西悟堂のそばを離れなかったヨシゴイの話などは鳥好きの胸を打つ。しかし、鳥だけじゃない、棘魚を飼って観察したり、足長バチを飼うために巣ごと小屋に移して観察したり、蛇は28匹(青大将、ヤマカガシ、シマヘビ、ジムグリ)もやはり部屋で放し飼いにしていたらしい。蛇はよくなついていて、来客があると怖がって逃げ、中西悟堂の膝の上で隠れるようにとぐろを巻いていたという・・

~「・・人はパンのみで生きるにあらず・・」

動物を飼ったことのある人だったら、動物が飼い主の愛情と交流を、時には食物以上に必要として生きていることがわかるだろう。ヒエラルキーがなく横並びの群れ社会で生きる鳥は、特にその傾向が強いのかもしれない。鳥が弱っている個体を見つければ、たとえ種類が違っても助けようとする習性は割とよく見られる現象らしい。真の人間関係も、尊敬の念も、あくまで対等な相互関係から生まれるものであって、決して一方的なものではないのである。

早くから、森林の減少とそれに比較して二酸化炭素の排出量の多さを危惧し、問題は社会システムにあるのではなく、人の心にあると主張した中西悟堂。幼い時に父親を亡くし、母親も行方不明となったために、子供の時に両親の愛を満足に受けられなかった中西悟堂だが、生きる上で最も大切なものは何かを教えてくれて、彼の豊かな感受性を養ったのは、おそらく少年時代に親しんだ多くの野鳥と自然だったのに違いない。


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