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郷愁の詩人与謝蕪村 №14 [ことだま五七五]

春の部 11

       詩人  萩原朔太郎

骨拾ふ人に親しき菫(すみれ)かな

 焼場に菫が咲いているのである。遺骨を拾う人と対照して、早春の淡(あわ)い哀傷がある。

春雨や暮れなんとして今日も有(あ)り

「暮れなんとして」は「のたりのたり」と同工風[#「同工風」はママ]。時間の悠久を現(あらわ)す一種の音象表現である。

梅遠近(おちこち)南(みんなみ)すべく北すべく

「遠近(おちこち)」という語によって、早春まだ浅く、冬の余寒が去らない日和(ひより)を聯想(れんそう)させる。この句でも、前の「春雨や」の句でも、すべて蕪村の特色は、表現が直截明晰(めいせき)であること。曲線的でなくして直線的であり、脂肪質でなくして筋骨質であることである。そのためどこか骨ばっており、柔らかさの陰影に欠けるけれども、これがまた長所であって、他に比類のない印象の鮮明さと、感銘の直接さとを有している。思うに蕪村は、こうした表現の骨法を漢詩から学んでいるのである。古来、日本の歌人や俳人やは、漢詩から多くの者を学んでおり、漢詩の詩想を自家に飜案化している人が非常に多い。しかし漢詩の本質的風格とも言うべき、あの直截で力強い、筋骨質の気概的表現を学んだ人は殆(ほと)んど尠(すく)ない。多くの歌人や俳人は、これを日本的趣味性に優美化し、洒脱化(しゃだつか)しているのである。日本の文学で、比較的漢詩の本質的風格を学んだ者は、上古に万葉集の雄健な歌があり、近世に蕪村の俳句があるのみである。

『郷愁の詩人与謝蕪村』 青空文庫


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