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雑記帳2023-9-15 [代表・玲子の雑記帳]

雑記帳2023ー9-15
◆9月1日(金)
1週間後の診察日である。
最近はどこの病院も診療所も予約が徹底していて、昔のように、早く行って順番確保をする必要がないのは助かる。それと同時に、診断技術も進化していて、全てCTやレントゲンである。医者は患者の顔もみない。勿論患部にもさわらない。実際、折れた骨は外からみえるわではないので、合理的といえば合理的である。

診察の前に撮ったレントゲン写真を見ながら
「前と変わらないようですね。おさらも骨もずれていませんからこのままいきましょう。」「膝がはれてまだ熱をもっているんですけど」
「痛かったらひやしてください。」
(そんなことくらい、先週、言ってほしかった)
「右足がむくんでるんですけど。」
「歩けるようにならないとね。足首をたててふくらはぎの筋肉をひっぱると血流がよくなります。足首まわしたくらいではあまり効果はないですネ。」
(先週足首を回せと言ったではないか。)
むくんでいると言ってもはれていると訴えても患部を見ない。ちょっと触ってどんな状態かみてくれたっていいではないか。「ちょっとはれてますね」と同情くらいしてくれてもいいではないか。そのうえで「大丈夫ですよ」の一言くらい言ってくれてもいいではないか。

医者は怪我をなおすことが仕事なので、患者、まして高齢の患者の美醜など知ったことではないのか。私としては、膝はかくれるからまだしも、むくんだ右足がこのままなおらないのではないかと心配になる。まるで象の足だ。
なにしろ足の骨折は初心者である。知らないことばかりだから、何をどう注意すればいいのかもわからない。幸い膝がずれていないというが、どうしたらずれるのか。いや、どんなことに注意すればずれないのか、最初に患者が質問しなければわざわざ言ってはくれないのだ。救急で説明をうけたきは治るのにどれくらいかかるのかばかりが心配で、医者の説明もわかったようなきがしたが、一週間不自由にくらしてみて出てきた疑問だから、一週間前に聞けるはずがない。聞いたときにはtoo lateではないのか。事細かく言わなかったのは重大事ではなかったということなのかもしれないが。

この日、近所の友人が車を出してくれた。ご主人をのせて何度も通った病院だから、心配しないでと言ってくれた。持つべきは茶飲み友達と大見えをきった後ではあるが、こどもにしてみれば別の問題があるようだった。

こどもにとって高齢の親は世話しなけれならない存在で、その親が世間さまに迷惑をかけているのではないかというのは重要な問題なのだと思う。もし事故にでもあったらどうするのか、などと考えれば、心配するのも無理はない。
「今度はタクシーにしてね。」(でも会社に電話してタクシー呼んでもなかなか来ないのよ。いつも今配車できるエリアにいませんと言われるのよね。)

いったい、高齢者は世間に迷惑をかけるだけの存在なのだろうか。
永田町辺りはたしかにいるような気がするが、経済力もなく政治的な発言力のない一般の高齢者が生きづらい世の中であることは確かだ。
まず、degitalの進化と使いにくさは高齢者に親切とはいえない。漸く慣れたころ次々にアップグレイドされる新兵器に追いつけない。これも自己責任なのだろうか。
事故を起こしたとき心配だから車を手放せと言われても、そもそも車など持っていなかった高齢者だって多い。

世間に迷惑をかけないようにと考えれば自分の世界を狭くするほかない。孤立して認知症になるかもしれない。認知症がわるいわけではないが、年取ればだれもが認知症になる時代、「安心して認知症になりましょう」というキャンペーンなど見たことがない。「どうしたら認知症にならないか」という本ばかりが売れる。認知症も自己責任といわんばかりである。

高齢者にとって、これから起きることはすべて人生初めてのことだと覚悟しなければならない。昔出来たことができなくなるし、初めてのことに敢然と立ち向かうには、これまでの学習や経験が邪魔をする・・・。体力あるだろうか。
もろもろの妄想のあげく、これで100歳まで生かされるのはまっぴらだと思う。

9月4日 (月)
足が不自由で家にいてもすることはある。
9月の予定を全てキャンセルしたので、出席できないぶんカバーすることはあって、パソコンの前に座りっぱなしである。
怪我を知った知り合いから次々お見舞いのメールをもらった。
中に、要件の報告のあと、「本当に頼りしていますので、落ち着いてお大事にしてください。」と寄せてくれた友人があった。

彼女は私より5歳年下の、五黄の虎のうまれである。
むかし、五黄の虎生まれの女性は気が強い、と敬遠された時代があった。ジェンダー論議盛んな今なら叱られそうだが、これが意外に当たっていて、私の知る1950年生まれの女性はみんな元気である。消費者庁長官をやった阿南さんとは生協時代意見のあわないこともあったが、彼女も五黄の虎である。喧嘩したら絶対に負けない。
メールをくれたのは阿南さんではないが、やっぱり生協で知り合い、もう30年になる。

落ちこんでいるときに「頼りにしている」と言われるのは何よりの希望だ。
これでもまだ役に立つことはあるのならもうちょっと頑張ろうと思えてくる。

9月5日(火)
台湾の何聡明さんからメールで原稿が届いた。添付は何と2通である。「2024年の台湾相当選挙たけなわ」と「九州への船旅」。
年初、もう年で書く体力もおちたからこれからは原稿を送るのは年3回にする、とメールがあったのを思い出し、思わず笑ってしまった。これはうれしい誤算である。総統選挙の話題はわかるが、九州への船旅はよほど心うつものだったにちがいない。 何聡明さんは93歳になる。

9月6日(水)
サンパウロの李渭賢さんが雑記帳を読んで驚いたと言ってメールをくださった。高齢者の3つの禁物は「風邪」「誤嚥」「転倒」とあった。            
町で元気に歩いているお年寄りは皆これらの禁物を避けてきた人なのだと思うと、心底偉いなと思う。

9月8日(金)
診察日は台風にぶつかった。苦労してたどり着いた病院のロビーは人影も少ない。
「ずれはないようですね。この調子なら2週間後には24時間つけている固定装置も歩くとき以外ははずしてもよさそうです。」
「外しているときにはリハビリとして膝の曲げ伸ばしをしていいです。まず90度曲がるのをめざしましょう。器具が完全にはずれるのは10月6日を目標にします。」
「自転車にはいつ乗れるようになるでしょう。」
「膝が120度曲がるようになったらOKです。そんなにあせっちゃダメですよ。」

自慢の自転車は娘にサドルをさげられてしまった。
「だいたいその齢で足がつかない自転車に乗るなんて危ないでしょ。若いひとだってそんなにサドル高くしてないわよ。」
「サドル高いと目線も高くなって走ってて気持ちいいのよ。」
「スピードもでるから事故ったらもっとひどいことになるでしょ。」
「私、自分の足で転んでも自転車で転んだことはないのに。」
「とにかく転ぶ前に予防しなくちゃ。転んでからではおそいのだからね。」

これでも、私は70歳の時、クロスバイクに乗るのを諦めたことがある。
60歳のとき、あこがれのクロスバイクを手にいれて、多摩川の土手をよく走った。軽いので分解して電車に乗って遠出をするのを夢見ていたが、プロの自転車屋さんに「素人がこんなことしちゃいけません、事故のもとです。」と言われて、分解組立をあきらめた。スピードが出て、まちなかを走っても爽快だった。だが、70歳の時、子ども3人を乗せて走った30代とはバランス感覚や瞬発力が明らかに違うことを自覚した。溝のない細いタイヤで、万一縁石で滑ったら危ないと思って乗るのをやめたのだ。分別がないと自他ともに認める私でもそれくらいの分別はある。それなのに、ママチャリのサドルを高くすることさえ許されないというのか。

ともあれ、先は見えてきた。元通りではないが、足のむくみも少し改善したような気がする。
母が90歳のとき転んで車いすになったのを思い出す。90歳に比べればまだうんと若いのに転んだとは恥ずかしいが、その齢になって初めて転ぶ前に予行演習をしたのだと思えばいい。なにしろこれから出会うことは初めてのことばかりだから、その前に練習しておけば、(治療も含めて)おろおろしないですむだろう。
まだリハビリで回復できる余力のあることに感謝して、頑張ろうと思った。

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スエーデン製の歩行器
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鈴木さんがさしいれてくれたnoshの弁当「チキンのトマト煮」 容器も紙なのがよい
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サドルを下げて普通のママチャリになったマイバイク(後ろは20代の姪が乗っているサドルの高い自転車 5㎝の差は大きい!)





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