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山猫軒ものがたり №24 [雑木林の四季]

春の招き猫 1

        南 千代

 夫の念願である田んぼが借りられることになった。場所は、三キロほど下った所にある狭い平野部である。広さ約一反の田は、五年近く使ってないという。枯れ草がぼうぼうと茂っていた。風のない日を見はからって、野焼きをすることにした。
 土手から火をつけて景気よく燃したが、燃え広がるスピードは意外に早い。アッという間に全面黒こげの田になった。
 野焼きを終えると、次は耕運機で土を起こす。夫が耕運機にスキをつけて田を起こしている間私は、耕運機では起こせないカヤの根などをスコップで掘り起こす。田は最初、スキで粗く起こした後、ロータリーをかける作業を三度ほどくり返し、土をならしていく。
 借りた田は、農道と小さな川に挟まれて四枚に分かれている。川の土手には、猫柳が銀白色のやさしい綿毛をたくさんつけていた。花穂を唇にあてると、柔らかな野辺の温もりがする。フキノトウもあちこちに黄緑の顔をのぞかせている。
 私は、自分の役割りであるカヤの根起こしがすむと、耕運機をかけている夫の周囲で、フキノトウやノビルを摘んだ。田のあぜのところどころには、セリも出ている。
  フキノトウは、刻んで味噌汁の吸い口にしたり、てんぷらやフキ味噌を作って楽しむ。春をまっ先に知らせてくれる山菜だ。ネギの子分のようなノビルは、土の中で白い球形になった鱗茎がおいしい。味噌をつけて生でかじるとピリッと辛く、エシャロットのようだ。青い茎の部分は薬味ネギ代わりにもなり、土地の人は、これをコジキネギと呼んでいた。
 茎が紫色の田ゼリは、水辺に出るセリと違って丈は低いが、香りがとても強い。私は、もっぱら白あえにするのが好きだ。
 これらは、春一番の代表的な食べられる野の草だ。しかし、食べられるかどうかでいえば、うまいかまずいかは別にして、ほとんどの植物は食べられる。間違いやすい約三十種ほどの毒草を覚えておくことは必要だけれど。
 春なら、スカンポやタンポポの葉のサラダ、カンゾウの芽の酢味噌あえ、スミレの花の甘酢あえ、つくしの玉子とじ、などもうまい。
 夫のロータリーかけがすんだ。この後どうやって田にするか。初めての経験なので、もちろん夫も知らない。すがるのは、隣の田をやっている赤岩さんと、「疎植のイネ作り」という本だけである。疎植とは、機械植えなら倍ほど植える苗を、間隔を開けた一本植えで坪三十六本しか植えないやり方である。
 なぜ、この植え方を選ぶかというと、化学肥料も農薬も使わず鶏糞だけで健全な稲を作るには、譜でなければならないと・夫の養鶏の師である中島正氏が提唱しているからであった。増収と省力をめざして、機械も農薬も石油もどんどん使うのではなく、収量は少なくてよいから、努力を払って健全な稲を作る、というのが基本姿勢の稲作りである。

 春がいっせいに咲き始めた。山間部では、梅、桜、桃といった順にではなく、梅も桜も桃もれんぎょうも、すみれ、たんばぼ、れんげ草も、全部がいちどきに花開く。
 まさに百花繚乱。桃源郷とはこんな所をいうのではないかという気分で、裏山に登って里を眺める。陽があたらない冬、私たちは、昼食をよく山で食べた。陽があたる斜面までおむすびとお茶を抱、蔓行き、そこでひなたぼっこをしなから食べていた。
 春になり、屋根に陽があたり始めても、この習慣は続いた。今度は、雷が花見弁当である。里では、越生梅林で盛大に梅祭りが行われているが、山の中に人知れず、警して花を開く梅もまた美しい。
 三月十二日の夜、町の虚空蔵さまの春祭りに行った。虚空蔵尊といえば、知恵と福徳の菩薩だが、この町では商売繁盛の福の神として親しまれているとか。昭和四十八年に、本堂のしも手にある方蔵寺の屋根からたくさんの小判が見つかったためである。
 私たちがこの祭りに出かけて行ったお目当ては、縁起もののだるまと共に売られている、招き猫であった。
 この町に来て、車の修理を頼んだ隣村の小輪瀬自動車の神棚に、ズラリと並んだこの猫を見つけた。瀬戸物しかお目にかかれない今の時代、猫は素朴な張り子である。表情もカタチも一匹ずつ微妙に違い、後ろ姿もしっかり猫背にしてある。聞くと虚空蔵さまの祭りの時だけに売られる猫だというので、この日を心待ちにしていた。
 祭りへ向かう人、戻る人虚空蔵さまに続く夜の野辺道では、人々が手にした懐中電灯の灯りがフワフワと一列に伸びている。ある、ある、大小さまざまな招き猫が露店に並んでいる。
 猫は、小さなものから始めて年ごとに、前の年より大きなものを買うのだそうだ。そして、七個になったら祭りの夜、寺に帰す。地元では、商売繫盛を祈願する商店主が、よく買っているとか。右手を上げた猫は一般商店用、左手を上げた猫は飲食店用だというので、右手招きの小さな猫を買うことにした。
 小サィズで三千五百万両と言われた値段を値切って、二千万両にしてもらった。値切った分だけご利益が減らないよう悔いながら、招き猫を山猫軒に連れて帰った。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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