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雑記帳2023-9-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-9-1
◆この夏、四国に住む妹が、娘の出産に合わせて上京、1か月間、我が家に滞在しました。
この間、マンションのゲストームや近くのホテルを利用した数日を覗けば、ほぼ毎日、立川から娘の住む五反田まで電車通勤したわけですが、夏の猛暑と相まって、つくづく年齢を感じさせる夏になりました。

10歳年下の妹は便在68歳。夫が亡くなった20年近く前、高校を卒業した彼女のこども3人を次々、我が家で預かったことがあります。、それぞれ大学や専門学校を卒業して、今では皆自立した社会人になっています。出産したのは2番目の子(?)で、外資系の金融会社で共働きをしながら流行りのタワーマンションに住んでいます。

岸田さんは「異次元の少子化対策」という言葉を使って少子化に取り組む姿勢をみせています。東京都も出産時の援助は手厚く、50万円とか80万円の声も聞きます。子育て中の支援も品川区は非常に手あつくなっているようです。1人でも年収1,000万円を越えるパワーカップルなら愛育病院での出産もなんということはない、援助などなくても産める。少子化対策として本当に支援が必要なのはどこなのか、考えざるを得ません。(そもそも今の日本は少子化の原因そのものが分かっていない政治家が多すぎる。個別に支給すればいい問題ではないことに気づかない。格差や貧困さえ「自己責任」にすり替えて、政治の問題だとは思っていないのです。)

勿論、赤ちゃんは可愛い。これは別問題です。
ミルクを呑んでおしめを替えてもらって満足しきって寝ている顔はいつまで見ていても飽きない。おなかがすいたとき、ウンチをしたとき、泣きわめく顔だってかわいい。仁君は(赤ちゃんの名前です)しかめっ面をするとまるで分別臭いおじさんのような顔になるのだけど、それも文句なく可愛い。

妹にとっては、電車やバスでの通勤も、タワーマンションの生活を目にするのもはじめてです。私など、今では電車に乗るだけで疲れてしまうありさまですが、さすがに10歳の差は大きい。1週間ほどですっかり慣れて、駅の戒壇の上り下りに脚が適応してくれるようになったと言います。
マンションに住んだことにない私は、慣れないタワマンの出入りにもおろおろ(あのセキュリテイの面倒くささは何だ!)、車止めの不自由さにもとまどいます。1か月も通った妹のほうは、マンションのコンシュエルジュを相手にそれにも慣れた様子でした。

この暑さの中、駅前のスーパーで買い物をし、重い袋を下げてマンションにたどり着く作業は今の私にはできません。特にこの夏は暑さに絶えられず、1人暮らしも身について、買い物は量も最小限なら陽ざしを避けて買い出しにいくのも最小限と言った具合でした。なかんずく、若い夫婦の食べる量は半端じゃない。肉や野菜の買い出しも毎回、相当な量になったはずです。私も60代、いや、70代前半だったらできたなあと思い、後期高齢の意味がよくわかった気がしました。

1か月の産後手伝いを終えて、妹は無事帰郷しましたが、これには続きがありました。なんと、妹が帰る前日、私は転倒して骨折という憂き目にあったのです。
日頃、走ってはいけないと肝に命じていたにも拘らず、すぐそこの物をとろうと思わず走ってしまったのが原因でした。まるで高齢者の見本のようだ、が一瞬頭をよぎりました。

8月24日(木)
救急で運ばれた病院でレントゲンとCTで骨折が判明。入院手術するか自宅で直すかは相談して決めよと言われ、紹介状を書いてもらってひとまず帰宅。
夜、仕事を終えた娘夫婦がコンビニで弁当を買って来てくれた。もともと木曜日は週に一度二人が我が家に晩御飯を食べにくる日だった。私にすれば週に1回でもひとの為に料理をする時間であり、むこうにすれば、認めたくはなかったが、年寄りの見守りの意味もあっただろう。はからずも今度のことで、後者の意味合いがはっきり出てしまったようだ。
「走らないようにずっと気をつけていたのに・・・」(私)
「でも走っちゃったんでしょ。高齢者がみんな転ぶわけでなく、ころばない人だって大勢いるよ。以前できたことが今はできなくなっているという自覚がたりないのね。」
(まことにその通りです。転んだのはひとえに自己責任。だからほうっといて。)
「お義母さん、怪我したら損だと思って気をつけるのがいいですよ。」
これには説得力がある。その通りなので反論のしようがない。

婿は年齢のわりに分別があるのだ。以前もこんなことを言われたことがある。
「お義母さん、その年齢で責任を持たなければいけないような仕事は受けないほうがいいですよ。」
私は、自分が彼ほどの分別をもちあわせないのを恨めしく思うことがある。子どもの頃、分別はおとなになったらつくものだと思っていた。でも、そそっかしさやせっかちは生来もってうまれたものなので、大人になったら治るものではなく、努力してカバーしなければならないのだ。努力が足りないわたしい¥としてはと人は言うのかもしれない。その意味でも損をしている。

夜、独りになって、ひざが曲がらないように固定されて慣れない松葉杖で過ごしてみて、その不自由さに参った。一日もはやくらくになりたいと思った。

8月25日(金)
紹介状を持ってふれあい相互クリニックへ。タクシーを呼ぼうとしても出払っていてなかなか配車できないとのこと、相当待ってようやく来てもらえた。バス停が近くなので必要ないと思っていた配車アプリが必要かもしれない。
「手術してもしなくてもどちらでもいい状態です。手術すれば早く歩けるようになりますが、それなりのリスクはともなう。年齢を考えると、早く社会復帰しなければならないほどのこともないのではありませんか。」
ここでも年齢のことを言われてしまった。
昨夜は早く楽になりたい一心だったが、話を聞くうちに骨が自然にくっつくのがいいようㇴな気がしてきた。
「一週間後に見て、ずれがひどくなっているようだったら手術しましょう。手術はそれからでもおそくありませんよ」
「ベストの選択かも。」と、あとで娘の弁。

8月26日(土)
骨折と聞いた知人が歩行器を貸してくれた。
スエーデン製のすぐれものである。さすが介護王国、頑丈で安定性があって、なかなかに具合がいい。松葉づえがいまいちへたくそな私には有難かった。
惜しむらくはトイレの間口が狭くてここには使えない。
この知人は国労出身で、今でも情熱的にマルクスを語る。ただし、親の残してくれた不動産があって何棟かのアパートを経営しているから、順然たるプロレタリアートではないことに屈折した思いはあるのかもしれない。彼が最近読んでいるのがむのたけじ。戦後、ジャーナリストの戦争責任を問うて朝日新聞社をやめ、郷里の横手から「たいまつ」を発信しつづけた人である。今どれくらいの人がむのたけじを知っているのだろうか。
実は『知の木々舎』は創刊時、横手のむのさんに電話して詞集『たいまつ』を連載させてもらったことがあった。横手は冬寒いので晩年はさいたまの息子さんの所に住んでおられた。そこにも電話して、いつかお昼をご一緒しましょうと話したことがある。100歳を越えて、「今、100歳から14歳の君へというのを書いている」と聞いたのが最後になった。声は100歳の老人とは思えないほど力強かったのをおぼえている。

8月27日(日)
骨折してどこにも出かけられず無聊をかこっているだろうからと、鈴木さんから電話があった。鈴木さんは例によって日曜日のお昼探訪を楽しんでいるらしい。今日は西国分寺駅の構内にある寿司屋へ行ってきたという。JR中央線の西国分寺駅は国分寺崖線の谷底に出来た駅で、狭いホームやコンコースを非常にうまくつかっている。後で知ったことだが、知人の町づくりデザイナーがプランニングしたということだった。狭い場所を上手く利用してコーヒーやカレー、うどんなどのファストフードショップがならび、果てはカウンターだけだが寿司屋まであるのである。

鈴木さんによると、西国分寺の寿司屋の魚は立川の駅ビルにある「魚力」より上ではないか。ただ、汁の方は浅利が3つ入った「魚力」の味噌汁が美味しいとのこと。料理がうまいまずいは人それぞれ、でも自分なりのものさしを持っているのは悪くないと思う。
四国出身の妹は、今回、東京で何がつらかったかというと、美味しい魚が手に入らないことだったという。魚は特にその地で獲れたものをそこで食べるのが一番。瀬戸内海の魚を東京で食べようと思うのがまちがいだと笑った。料亭や有名レストランで目が飛び出るほどのお金を出せば食べられるかもしれないが、地元ならそんな必要はない。輸送の技術が発達した今でも、美味しいものを食べたければその地へ行くのが正解のようだ。

鈴木さんはそのあと、立川へ戻って、立川駅のホームの蕎麦屋でおでんそばなるものを食べたそうだ。そして、締めは、モノレール立川北のミスタードーナッツである。92歳でこれだけ食べられるのが元気のもとなのだろう。昔食いしん坊だった私でさえもはや食もほそくなり、最近は必要な栄養をとるにはもっと食べなければならないと痛感している。タンパク質はもちろん重要だが、鉄やカルシュームのような微量栄養素は十分にとれていない。嫌いだったサプリメントの出番かもしれない。金曜日には鈴木さんは冷凍の弁当noshを差し入れてくれた。これも私には相当のボリュームだった。

8月28日(月)
怪我をして5日目にもなると、段々慣れてくる。歩行器を連取したら苦手だった松葉づえも上手にあやつれるようになった。人間はかってなものだ。丈夫なだけが取り柄だった私が怪我して使い物にならないなんて、生きていてもしょうがないとまで落ち込んでいたのが、気分も少し上むきになるのだった。

今日は近所の宮崎さんが今年の梅でつくった梅干しと梅ジュースを持って来てくれた。、落下していた梅の実がもったいないと持ち主に了解を得てもらったものである。見事なできばえだった。とりとめのないおしゃべりをして、たまたま落っこちた簾を、2階に上がれない私の代わりにかけかえてもらった。

骨折して出歩けないながら、一日中、まったく一人になることはありませんでした。買い物を頼んだり病院への送り迎えにも誰かがいました。一人で暮らす高齢者が持つべきものは茶飲み友達だとつくづく思います。


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