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雑記帳2023-8-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-8-1
◆今年の夏の暑さは格別で、東京は梅雨明け前から猛暑日が続きました。かくいう私も暑さにダウン、ならば冷房とエアコンに頼ったはいいものの、今度は夏風邪にみまわれてしまいました。たかが風邪、と甘く見た結果、3日も寝込む羽目になり、まこと、年寄りは生きにくい、と実感した7月でした。

昨年「高松からの風」をご紹介した「アールブリュットたちかわ」が今年もひらかれています。室内を飛び出してまち中や地下道での制作も行われました。

多摩都市モノレールの高松駅から市役所にむかう途中、立川立飛本社を囲む壁面はアートが並ぶドリ-ムロードです。昨年12月に完成しました。

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見上げればモノレール 近くに車両基地がある。
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周辺は裁判所や国文学研究所等で殺風景

もう一つ、JR立川駅の東地下道に今年完成したのが「東地下道プロジェクト」です。活動を紹介した東京新聞には、「作品はここで何年も残っていく。皆さんの日常の中で当たり前のように存在していくことで、この作品がどう変わっていくのか楽しみです」という作者の言葉が紹介されていました。
アートの町を標榜する立川には町のいたるところに「街角アート」が見付けられます。「日常に当たり前のように存在する」っていいですね。

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三光院サロン7月は、リンボウ先生の『平家物語茶話』の最終回でした。
物語に登場する女性や武将たちを取り上げたのちの最後の舞台は平家終焉の地になりました。

平家物語は上下巻の内、上巻は平家の栄華と横暴が語られ、下巻は頼朝挙兵にはじまって、ほぼ全編、平家の都落ちです。
武力に勝る源氏に敗れて簡単に都落ちしたと思われていますが、、平家も意外にしぶとくて、実は何度も巻き返しをはかったあとをリンボウ先生と共に辿りました。

巻七では、寿永二年三月、朝日将軍と木曽義仲がくりから峠を越えてせめのぼり、平家は初めて敗れて敗走します。知盛は此の戦で戦死しました。この時比叡山は源氏の味方となり、勢いに乗った義仲は京に攻め上ります。平家は総大将宗盛をたてて都から撤退するのです。

義仲は源氏では真っ先に京へへ行ったにもかかわらず、田舎武士の哀しさ、都の雅になじむことができませんでした。ごたごたの間に平家は九州へとおちのびます。しかし、九州には頼みとする味方の武将はすでにおらず、最初にはいった筥崎宮から宇佐八幡へ移動。右往左往の様子が伺えます。宇佐八幡は石清水八幡、箱崎八幡と並ぶ、日本の三大八幡でした。戦勝祈願もむなしく、筑紫は遠賀川の河口、柳ヶ浦の合戦で敗れ、、笛の名手と呼ばれていた平清経は自害します。

そのときの大将、平知盛は長門の国の国守でしたから、長門の国周辺にまだ平家の勢いは残っていました。知盛は九州をすて、四国勢を味方につけようと屋島へむかいます。
この間にも関東から攻め寄せた源氏と何度か合戦をしています。関東軍の大将は義仲でした。

源氏は水軍をもたないので、瀬戸内海ではなんといっても平家が強い。平家は先手を取って岡山の水島に陣をはり、義仲は京へどもどります。義仲が義経に討たれるのはこのあとのことです。

勢いを盛り返した平家は屋島を出て摂津へ。福原に再び都をきずこうともくろみました。
ここで一の谷に華々しく義経がでデビューするのです。

寿永三年二月四日、この日は清盛の祥月命日でした。一門上げて法要を執り行った翌日、源氏の農攻撃をうけるのです。二月六日、義経のひよどり越えの奇襲を受けて平家は総雪崩、一の谷の合戦でした。薩摩の守忠度は戦死、箙に結んだ短冊は敵味方の涙を誘いました。

一方、生田の森で敗れた平重衡は生け捕られ、奈良で打ち首、主だった平家の武将たちは次々に討たれます。総大将知盛は、息子・武蔵守知章の身を賭した助けにより急死に一生をえたものの、かかるうえは生きていても意味はないと覚悟します。一の谷で生け捕られた武蔵守の首は都大路にさらされました。

平家追討の院宣を貰った義経は勝浦に上陸して屋島へ、平家は屋島をすてて長門の国彦島へ向かう途中、壇ノ浦で最期を迎えます。既に死を覚悟していた知盛は、海中に身を投じた平家方の何人もが甲冑が禍して没することができず浮き上がって生け捕りになる様子をみて、懐に大石を抱いて入水してはてます。

ほろびゆくものの最期を丁寧に描く一方で、平家物語では源氏は良くは描かれません。頼朝はもちろんのこと、義経にしても然り。揺れる船の上で、那須与一が女官の掲げた扇を射落とす場面は戦いの最中に生まれたエピソードです。今回のリンボウ先生の話にはありませんでしたが、これにはあまり知られていない続きがあります。敵も味方も与一の弓矢の腕前を賞賛する中、一人の老人が扇を手に賞賛の舞を舞うのですが、義経は顔色を変えることなく与一に命じるのです。「あの者を射よ。」与一も即座に命令に従い、老人は海へ、再び戦がはじまるのでした。

古来、戦場にはいくつかルールがあり、意外に紳士的だと感じたことがありました。戦は武士同士がするもので、船を使った戦では勢子は殺される対象ではありませんでした。戦の天才、義経にはそんなのは知ったことではない。彼にととっては勝つことが大事だったのですから。
禁じ手も奇襲も、敵わない強さの秘密でしたが、平家物語では勝ち組の義経もその後は悲劇の武将に転じて、世の判官びいきをうならせることになります。おおむね、日本人は判官びいきですね。

サロンの西井さん曰く、「こんなに平家をおもしろく語ってくれる人はいませんよ。」
そして、最後の会だからとサロンが茶話会を用意してくれました。
供されたのは三光院近くの和菓子屋さん「三陽」の葛まんじゅうでした。昨年、リンボウ先生がすっかりファンになったというお店です。

葛餅をいただきながらのおしゃべりの中で、「平家物語の跡を旅するとしたらどこがいいでしょう」という質問がでました。
これにはリンボウ先生も苦笑い。「京都でないところがいいですね。」
清盛が遷都した福原はどうだろう。こちらは観光地神戸に近いから行きやすいかもしれない。平家がまだ力のあった九州や長門の国が意外に知られていなくて穴場かもしれない。
そんなことを思いながら4回つづいた講座を終了しました。

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三陽の葛饅頭


◆毎回、三光院サロンの精進料理を紹介してきたのでちょっと期待する向きもあると知って、今月は7月の膳の紹介です。
定番のコースに月替わりのお品が1品か2品加わるのが常ですが、7月は「押し胡瓜の酢の物」と「おナスの枝豆和え」がつきました。ご飯は「青じそのおばん」です。

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おなすの枝豆あえ
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押し胡瓜の酢の物
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青じそのおばん

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