SSブログ

山猫軒ものがたり №19 [雑木林の四季]

さよなら 小野路 2

          南 千代

 しばらくして。青山三丁目の交差点で、カメラマンの北村さんにバッタリ会った。彼は、都内から引っ越し、長野の山深い鬼無里村に住んでいた。戸隠高原の近くだ。自然の写真を撮っており、時々現像などのために都内に出てくる。互いに近況を話しているうちに、家捜しに彼の村に来ないかということになった。空いている家がありそうだと言う。
 ちょうど明日、あさっては仕事がオフ。翌日、村に帰る北村さんを車に乗せて、夫と私はさっそく鬼無里(きなさ)村に同行することにした。
 早朝出発。中央自動車道を走り、一般国道で松本、大町市を抜け、白馬から東に向かって鬼無里村に入る頃には、日はもうすっかり暮れていた。主要幹線道に雪はなかったが、村に入るにつれ、通は雪や氷となった。北村さんの家は、村の奥、山の上にあるという。
 山道の雪は、すでに三十センチを超え、なお深さを増しっつある。あと四、五キロで家に着くという所まできたとき、チェーンをつけたランドクルーザーのタイヤが急を坂道に、ついにストップしてしまった。車で道を通る人は誰もいないというので、私たちは車をそこに置いたまま、山の上まで歩くことにした。
 雪はヒザの深さをとうに超え、あたりには家一軒見あたらない。北村さんに、なるべく手間をかけないようにと、抱えてきたおにぎりやたくさんの食糧を抱えて夫と私は、北村さんの後をついて歩き始めた。月が山の上からキリリと白く光り、雪の夜道を照らしてくれている。
 さすがに艮野だ、山湖さもスケールも壇う.私は喜んで営むむが.山間「ざろふ雷管かl分けて坂道を進まなくてはならないので、ふつうの地面と勝手か違う。
 そのうち、北村さんの後をついていくのが精いっぱいとなり、やがて、彼の背中が先に遠くなり始めた。一本道では迷うこともないと思ったのか、北村さんは、後ろもふり向かずにどんどん歩いていく。
 ついに、下を向きっぱなしの顔を時々起こして、彼のほとんど黒いシルエットとなった姿を捜して方向を確かめなくてはならなくなった。甘えっ子の為朝だけを連れてきていたのだが、為朝も先に行ってしまった。
 夫は、途中で、親切にも私の荷物も引き受けて運んでやると言い張ったため、私よりはるか後ろを歩いており、時々声をかけたが、その距離も声をかけられる近さではなくなり、道はくねくねと曲がっていたので、やがてふり向いても見えなくなった。
 四、五キロの道を二時間以上もかけて歩き、ようやくの思いで灯りのともった家に辿り着いた。家は、あたり一番の高みにあるようだ。開けた目の前を見渡すと、蒼い無彩色の山々が、震えるように透明な空気の下に在る。雪が月灯りに反射して、まるで精度の高いグラニュー糖のように、サラサラと光っている。夫が、ゆっくりと上がってくる姿が下に見えた。為朝がしっぽをふりふり、灯りのついた家から迎えに出てきた。
 北村さんは、古い大きなカヤぶきの家を借りていた。何日か留守にしていた家を暖めようと大きな囲炉裏(いろり)に火を燃しつけている。そのために、私たちより早く歩いたのだった。長靴の中で靴下はビショビショだ。
 温かい風呂が何よりのごちそうと、風呂に火をつけてくれたが、風呂釜の中が凍っていたのか、しばらくするとバーンといって釜が爆発して壊れ、風呂はなしとなった。囲炉裏端で、持ってきたメザシや煮物をつまみながら酒を飲むが、体はなかなか暖まらない。
 具体的に空いている家があるわけではなかったが、時間をかけて地元の長老に会ったり、捜したりすれば見つかりそうだった。
 翌朝、卓を何とかしようとまた山を下る。車は、燃料の軽油が凍ってしまい、動かなかった。役場の車で引っ張ってもらい、軽油が溶けるのを待って私たちは帰路についた。動物たちがいるので二人で出かけた時は、一泊が限界である。再度、後日時間を作って、夫が出直すことにした。
 その後、夫は冬の間に二度ほど鬼無里村を訪ね、やっとあの家なら貸すのではないかと土地の人が言う空家を見つけてきた。しかし、村を離れている家の持ち主は、雪が溶ける頃にならないと山へやって来ないという。私たちは、鬼無里村に春が訪れるのを、待つことにした。
 友人がいる村なら、何かと心強い。長い長い長いトンネルの向こうに、ようやく展望が開け納めた気分である.といっても、欄りられると決まったわけではない.

『山猫軒ものがたり』 春秋社



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。