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郷愁の詩人与謝蕪村 №8 [ことだま五七五]

春の部 5

       詩人  萩原朔太郎

いもが垣根三味線草(さみせんぐさ)の花咲きぬ

 万葉集の恋歌にあるような、可憐(かれん)で素朴な俳句である。ここで「妹」という古語を使ったのは、それが現在の恋人でなく、過去の幼な友達であったところの、追懐を心象しているためであろう。それ故に三味線草(ぺんぺん草)の可憐な花が、この場合の詩歌によく合うのである。句の前書には「琴心挑美人(きんしんもてびじんにいどむ)」とあり、支那の故事を寓意(ぐうい)させてあるけれども、文字の字義とは関係なく、琴の古風な情緒が、昔のなつかしい追懐をそそるという意味で使ったのだろう。この句もやはり前のと同じく、実景の写生でなくして、心象のイメージに托した咏嘆詩であり、遅き日の積(つも)りて遠き昔を思う、蕪村郷愁曲の一つである。

鶯(うぐいす)の鳴くやちいさき口開けて

 単純な印象を捉(とら)えた、純写生的の句のように思われる。しかし鶯という可憐な小鳥が、真紅(しんく)の小さな口を開けて、春光の下に力一杯鳴いてる姿を考えれば、何(なん)らかそこにいじらしい、可憐(かれん)な、情緒的の想念が感じられる。多分作者は、こうした動物の印象からして、その昔死別れた彼の幼ない可憐な妹(蕪村にそうした妹があったかどうか、実の伝記としては不明であるが)もしくは昔の小さな恋人を追懐して、思慕と恋愛との交錯した情緒を感じ、悲痛な咏嘆(えいたん)をしたのであろう。前掲の「妹が垣根」や「白梅や」等の句と対比して鑑賞する時、こうした蕪村俳句の共通する抒情味がよく解るのである。

行く春や白き花見ゆ垣の隙(ひま)

 この句もまた、蕪村らしく明るい青春性に富んでいる。元来日本文化は、上古の奈良朝時代までは、海外雄飛の建国時代であったため、人心が自由で明るく、浪漫的(ろうまんてき)の青春性に富んでいたのであるが、その後次第に鎖国的となり、人民の自由が束縛されたため、文学の情操も隠遁的(いんとんてき)、老境的となり、上古万葉の歌に見るような青春性をなくしてしまった。特に徳川幕府の圧制した江戸時代で、一層これが甚だしく固陋(ころう)となった。人々は「さび」や「渋味」や「枯淡」やの老境趣味を愛したけれども、青空の彼岸(ひがん)に夢をもつような、自由の感情と青春とをなくしてしまった。しかるに蕪村の俳句だけは、この時代の異例であって、そうした青春性を多分に持っていた。前出した多くの句を見ても解る通り、蕪村の句には「さび」や「渋味」の雅趣がすくなく、かえって青春的の浪漫感に富んでいる。したがって彼の詩境は、「俳句的」であるよりもむしろ「和歌的」であり、上古奈良朝時代の万葉集や、明治以来の新しい洋風の抒情詩などと、一脈共通するところがあるのである。


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