西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №107 [文芸美術の森]
奇想と反骨の絵師・歌川国芳
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第2回 出世作「水滸伝」シリーズ
文化10年(1827年)、版元・加賀屋吉右衛門は、折からの「水滸伝」ブームに目をつけ、大判錦絵シリーズにすることを企画、これに歌川国芳を起用しました。
「水滸伝」は、中国に古くから伝わる壮大な通俗小説で、梁山泊を根拠地として大勢の豪傑たちが活躍を繰り広げる物語です。
国芳は、「水滸伝」に登場する豪傑たちひとりひとりを一枚ずつに大きくとらえた構図で描きました。
国芳は、「水滸伝」に登場する豪傑たちひとりひとりを一枚ずつに大きくとらえた構図で描きました。
躍動感と力がみなぎる豪傑絵は大評判となり、国芳は一気に人気画家になりました。時に年齢は31歳。
人気シリーズとなった国芳の「水滸伝」は、次々と描き進められ、現存する作品は75図に及ぶ。そのうちのいくつかを紹介します。
≪豪傑たちの躍動≫
右図は、豪傑の一人「浪子燕青」(ろうしえんせい)。小説「水滸伝」に「北京の産にして面(おもて)雪より白し。体中に花を彫り物す」と書かれている力持ちです。
襲ってくる男たちを、大きな柱を振りまわしてなぎ倒す姿を描いている。その白い肌には花の入れ墨が映えて、彫り物比べをすれば誰にも負けなかった、といいます。
江戸では、文化・文政の頃、勇み肌の職人たちの間で、身体に入れ墨をすることが流行していました。国芳の「水滸伝」シリーズが出るに及んで、「入れ墨ブーム」に拍車がかかり、中には、国芳が浮世絵に描いた図柄を総身に彫る注文もあったといいます。
右図は「花和尚魯知深初名魯達」(かおしょう・ろちしん・しょめいろたつ)。
「花和尚」(かおしょう)とは、全身に入れ墨をしている和尚の意です。
「花和尚」(かおしょう)とは、全身に入れ墨をしている和尚の意です。
魯知深(ろちしん)は、元軍人でその時の名が「魯達」でした。62斤(約25㎏)の鉄の杖を振りまわすという怪力の持ち主で、この絵では、凄まじい顔つきの魯知深が、その鉄杖で松の大木を撃ち砕いている。砕け散る木片が衝撃の強さを表しています。
魯知深の顔から鉄杖にのびる線と、撃ち砕かれる松の大木の線が交錯し、広げた足で踏ん張るという力感あふれる構図も見事です。
次に右図は「浪裡白跳張順」(ろうりはくちょうちょうじゅん)。
「張順」は泳ぎの達人。西湖をくぐって、単身で敵の城に忍び込み、水門を破ったが、敵兵の集中攻撃を受けて、水中で最期を遂げた豪傑。
「張順」は泳ぎの達人。西湖をくぐって、単身で敵の城に忍び込み、水門を破ったが、敵兵の集中攻撃を受けて、水中で最期を遂げた豪傑。
この絵は、水門の鉄の柵を飴のようにねじまげて侵入する姿を描いている。四肢に力がみなぎる描写が見事です。
鈴のついた縄は、侵入者を探知する警報装置。侵入を知った敵兵たちは、張順に矢を雨あられのごとく浴びせている・・・
この絵では、赤と黒のコントラストが鮮やかで、これがまた、張順の白い肌を引き立てています。
この絵では、赤と黒のコントラストが鮮やかで、これがまた、張順の白い肌を引き立てています。
かくして描き進められた「水滸伝」シリーズは大評判となり、歌川国芳の絵師としての地位も確固たるものとなりました。
次回は、歌川国芳の「武者絵」を紹介します。
(次号に続く)
2023-06-14 07:32
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