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住宅団地 記憶と再生 №12 [雑木林の四季]

II フランクフルト・アム・マイン-エルンスト・マイと「ダス・ノイエ・フランクフルト」 6

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 
ハイムヒェン団地 Heimchen(Heimchenweg 60,65929 Frankfurt am Maln)

 フランクフルト近郊でみた年代的にもっと古い労働者住宅が、つぎに向かうハイムヒェン(こおろぎ)団地である。フランクフルトの最西端にあたる。アイゼンバーナー団地のバス停からへヒスト駅経由、ウンターリーダーハハ地区に向かった。
 ハイムヒェン通りに着いて辺りを探したが、古い労働者住宅地らしい区画は見あたらない。産業遺産の観光ルートになっていて建て替えられてはいないはずだから、100戸足らずの小さな住宅群でもすぐに見つかるだろうと高をくくっていた。目当てのハイムヒェンヴェク60番地にくると、さすが築120年を思わせる古風な建物が1棟だけあった。3階建て煉瓦づくりで木組み構造、急勾配の三角屋根を組み合わせた建物である。これは団地の住宅の原型そのままのモデルハウスであって、1900年のパリ万博に展示されグランプリをとったという記念建造物が、表通りに保存されていた。中はお土産店になっている。ハイムヒェン団地はすこし離れたドロッセル通りとシュターレン通りのあいだにあった。
  1890年代にこの地方に発達した染色工場が労働者向けに建てたもので、モデルハウスは1896~97年、現存する団地は1912~14年に建設されている。それぞれの建物はモデルハウスよりもやや規模は大きく、外形はいくらかは補修されているにせよ、ほぼ原型どおり、田園都市構想を思わせる住宅群が並んでいた。茶褐色で急勾配の三角屋根、屋根裏部屋・出窓つきの1階ないし2階建て、庭つき住戸が2戸または数戸つづく住棟で、それぞれ生垣でかこまれ、そんな住宅ブロックがいくつもある。
 この住宅にかぎらずドイツの住宅をみて感心するのは、どの生垣も高さ、形がいつもきれいに揃えて努定されていることである。聞けば、記念建造物に指定されると、建物の手入れはもとより生垣の勇定までもきびしい決まりがあるようだ。「デンクマールシュツ」(記念物保護)の語をやたら見かけるが、こうしてドイツの街並みはどこもきれいに保たれているのだと改めて思った。
 フランクフルトの労働者住宅は3団地だけ、建設年代の新しい順に回ったことになる。産業革命の発達にあわせドイツの労働者住宅群の建設も19世紀末、20世紀にはいり20年代の終わりにかけて大いにすすんだ。その設計思想、建設様式とデザイン、生産工法等にも革新的な進化がみられた。わたしのような素人目にも大きくは、戸建てから長屋、集合住宅へ、平屋から中層建てへ、三角屋根から平屋根へ、戸別の専用庭、囲いから開かれた共同化、相聞づくりへの流れが読みとれる。建設主は個々の企業家から自治体または公益団体へ、対象住民は企業従業員から一般労働者、広範な市民に変わった。
 そんな、いわば当たり前のことよりも、考えさせられ、感動をおぼえるのは、いまも誇らしくその住宅に、修繕し改修しながら、かりに建て替えても原型をのこして、人が住んでいることである。旅行者には、住宅内の、まして台所等をのぞくことはできないが、内部は大幅に改造されているにちがいない。
 まちの景観、記憶を守ることと生活様式を近代化することにかんして一言記しておく。わたしのフランクフルト定宿に近い、映画館やレストランなどのはいったビルが何年もかかって建て替えを終えた。工事中も、もとのビルそのままの色彩、外形を措いたテントでおおわれ、完成後も景観に違和感はなかった。どこがどう変わったのか思い出せない。ビルの内部は、もちろん一新されていた。
 市のごく中心部にフランクフルトにかぎっては超高層ビルも珍しくはないが、中心部をめぐる緑地帯のこの辺りになると、建て替えや大改修はされているのだろうが、懐かしい景観が保たれている。わたしは、定宿を出てこの緑地帯を、エツシェンハイマートア一、アルテオパー沿いに歩き見本市会場へ行き来していた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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