海の見る夢 №52 [雑木林の四季]
海の見る夢
ー夜の女王のアリアー
澁澤京子
~しばらくの間、無言のまま私は自然の豊かさと人間のはかなさに思いを寄せた~
~しばらくの間、無言のまま私は自然の豊かさと人間のはかなさに思いを寄せた~
『アメリカのデモクラシー』トクヴィル
「わたしたちはブラウニー、お母さまのお手伝い~わたしたちはブラウニー、困った人を助けます~」小学校低学年の時、ガールスカウトに入った時にはじめて覚えた歌。「からだをひねってクルリと回ったら、わたしに小人を見せてね~水の中をのぞいてみたら、わ・た・しが見えました~」うろおぼえだが、人のお手伝いをする善良な小人がいて、どんな小人だろう?と思っていたらそれは自分だったという歌もあった。(私はお手伝いするような良い子でもなかったが・・)ガールスカウトには、そうした奉仕の歌が多かった。キャンプファイアーの歌には好きなものが多く、特に「クムラタビスタ」はそのアフリカっぽいビートが子供心にもかっこよかった。森で拾ってきた小枝をよく洗い、マシュマロを刺して焚火であぶり、溶けてきたらビスケットにチョコレートとはさんで食べるおやつ、サマーキャンプで、小さな男の子を見かければ「まあ!かわいい!」とみんなで走り寄ってあれこれお世話(おせっかいな)しようとしたのも、そうしたガールスカウト独特の奉仕の精神?のせいか?その後、ボーイスカウトのデン(洞窟)マザーをして、小学生の男の子たちをキャンプに連れて行ったりしたが、ガールスカウトや、(備えよ常に)のボーイスカウトは私にとってアメリカ文化だったのである。
なぜ、こんな思い出を書き始めたかというと、モーツァルトの「魔笛」。魔笛に登場する、神官ザラストロ率いる教団のモデルであるフリーメーソン・・この謎の団体について調べているうちに、フリーメーソン会員であった英国人ベーデン・パウエルがフリーメーソンの子供版として作ったのがボーイスカウトであることを知ったからである。政治とも宗教とも中立であるフリーメーソン・・私にとっては家族や学校以外の同年代の友達との集まりであり、一緒にサマーキャンプに行ったりハイキングに行く仲間だったが、おそらくアメリカにはこうしたアソシエーションがたくさんあるのかもしれない。
しかし、フリーメーソンは秘密結社。謎の通過儀礼があり、特にモーツァルトの時代にはフランス革命の黒幕と噂され、確かに(自由、平等、博愛)はフリーメーソンの理念でもあり、事実フランス革命を起こした人間にはフリーメーソンの会員が多かったのである。また、カトリック教会とも対立し、フリーメーソンは人々の中傷の標的であった。フリーメーソンの会員であったモーツァルトと、ドサ周りの劇団の座長であったシカネーダー(フリーメーソン会員であったが放蕩のため追放)が共同して執筆したのが『魔笛』なのである。モーツァルトを寵愛したヨゼフ二世は、王でありながら平等思想の持主であったのでフリーメーソン的な思想の持主。渦巻く中傷と陰謀論からフリーメーソンを弁護するためにモーツァルトが書いたのが「魔笛」だったのだ。
「魔笛」あらすじ
大蛇に追いかけられてきたタミーノ王子は、(夜の女王)の三人の侍女に助けられる。そこに鳥刺しパパゲーノが登場、パパゲーノは大蛇を倒したのは自分だと嘘をついたので口に錠をかけられてしゃべれなくなる。(夜の女王)の娘パミーナは悪人ザラストロに誘拐されていて、パミーナの肖像に一目ぼれしたタミーノ王子は魔法の笛をもらいパパゲーノと一緒にパミーナの救出に行く。ところが神殿につくと、ザラストロは立派な神官で(夜の女王)こそが悪党であると二人は告げられる。タミーノ王子とパパゲーノの二人は、ザラストロ率いる教団に入団すべく「沈黙の行」を修行することになるのだ・・パミーナが話しかけても、修行中のタミーノ王子は無視するが、おしゃべりなパパゲーノは老婆に話しかけられついしゃべってしまう・・うっかり掟を破ったパパゲーノは老婆と結婚の約束をさせられるが、約束したとたん、老婆は若い娘に変身していなくなってしまう。娘が姿を消してしまい、絶望のあまり自殺しようとしたパパゲーノの前に、再び若い娘は現れ、そこで歌われるのが「パパパの二重唱」。沈黙の修行を終えたタミーノ王子とパミーナ、パパゲーノと若い娘は結ばれハッピーエンドとなる。一方、復讐をしに来た(夜の女王)は自滅してしまう・・
夜の女王を「迷妄」「闇」のメタファーとすれば、神官ザラストロは「理性」の光ということなのだろうか。『モーツァルトのオペラ 愛の発見』岡田暁生著によると、「魔笛」は絶対王政から民主主義への推移を描いたオペラらしい。神官ザラストロの被害者であると思われた「夜の女王」がザラストロ側から見れば実は悪党であったり、パパゲーノがおしゃべりした老婆が次には若い女に変身したり、ここでは善悪も、古さも新しさも次々と万華鏡のように変化していくのである、時間の推移の中では、何一つ変わらないものはない・・「夜の女王」の住人である侍女たちは余計なおしゃべりばかりし、やはり住人であったパパゲーノは嘘つき、「夜の女王」はザエストロの悪口を吹聴する思い込みの激しい人であり、要するに言葉に引っ掛かりやすい性質を持つのが「夜の女王」の世界の住人たちで、それはまた陰謀論を信じやすい人の特徴の一つでもあるんじゃないだろうか?状況は常に変化してゆくのに対し、言葉は物事を「固定」する作用があるので、たとえば言葉に引っ掛かりやすければ言葉を文脈の中で微妙に変化させて捉えられず、また、「~は~である」という定義を何にでも当てはめて考えようとしたり、なかなか臨機応変な対応ができない。あるいは学歴など肩書の固定されたイメージだけで人を判断するとか、人は「言葉・イメージ」に引っ掛かりやすいのである・・
フリーメーソンについては、『フリーメーソン』橋爪大三郎著と、『魔笛』ジャック・シャイエ著が最もわかりやすかった。つまりフリーメーソンは「理神論」なのである。人は「理性」によって神の領域に近づけるというのが「理神論」で、当時の啓蒙思想とも相性がいいものだった・・フリーメーソンの「理神論」はその後、アメリカ建国の礎の思想にもなった。キルケゴールは「・・結婚は少しも音楽的でない・・」と『魔笛』に対して酷評したが、貴族や上流好みの『ドン・ジョバンニ』『フィガロの結婚』などと違い、大衆向けに書かれたオペラである『魔笛』が「正しい結婚」という市民道徳的なハッピーエンドになるには、フリーメーソンの思想の影響があったのだ。(確かに天衣無縫のモーツァルトには堅い市民道徳より「ドン・ジョバンニ」のほうがふさわしい)ワシントンなど、歴代アメリカ大統領にはフリーメーソン会員が多く、ちょうど『魔笛』が上演されたころは民主主義の曙の時代だった。
そのころはカリオストロ伯爵のように夫婦で教祖様になるような、いかがわしい詐欺師的な人物も少なくなかった。絶対王政が崩れる時は、ロシア革命の時のラスプーチンのように怪しいオカルトな人物が横行するのだろうか。しかし、フリーメーソンの場合は、むしろオカルトの反対で、啓蒙主義に限りなく近い・・それにしても、『魔笛』の神官ザエストロはあまり魅力のない堅物だし、主役のタミーノ王子も真面目過ぎて、このオペラの中で魅力的な登場人物は羽目をはずしがちな嘘つきのパパゲーノ(しかしパパゲーナに対しては純情)と、沈黙の行のタミーノ王子に無視され、てっきり失恋したと思い込んで自殺しようとするパミーナだろう。二人とも人間らしくてかわいいのである。
・・嘘つきはみんなこの錠前を 口にはめられてしまえばいい
そうすれば 憎しみも中傷も怒りも消えて
愛と親密な絆がうまれるのに 『魔笛』
大蛇を退治したのは自分だと嘘をつくパパゲーノの口に錠をかける三人の侍女たちだが、「夜の女王」が敵である神官ザラストロを「悪党」呼ばわりして中傷するさまは、今の陰謀論者たちがやたらと「フェイク」「洗脳されている」と糾弾するのに似ている。トランプを支持するQアノンと、故安倍元総理を支持の日本のネット右翼が似ているのは、特定の政治家を熱狂的に支持するところと、そうした「フェイク」「(マスコミによる)洗脳」発言だろう。敵と味方を分け、故意に醜聞を流して相手を貶め(アメリカでヘイトスピーチが過激化し、三つの無差別銃乱射事件が起こることによってだいぶQアノンは鎮静化したが、トランプが再選されたらまた活発になるだろう・・)Qアノンのような陰謀論者からヘイトスピーチや無差別銃撃事件のような暴力が生まれやすいのは、彼らの虚構と現実の混同にあるのかもしれない・・人生はゲームのように簡単にリセットできるわけじゃない・・数字や暗号など謎を解くのが好きなのも陰謀論者の特徴で、それはフリーメーソンが数字にこだわったからかもしれない。
当時のフリーメーソンは平等主義を志向する、多様性尊重の革新的な集団で、カトリック教会と対立したし、保守的な民衆からも中傷され、まるで今のディープステートのような闇の集団よばわりされていた。(トランプはディープステートと闘う救世主らしい・・)実際、謎の通過儀礼と秘密主義のために、どうしてもフリーメーソンが怪しげになってしまうのは否めない。その秘儀のルーツにはフランス王に迫害されたテンプル騎士団や、薔薇十字のような思想があるからだろう。ちなみに古のテンプル騎士団も、当時「子供を食べる」などのデマを飛ばされたらしい(それは今日のQアノンによる「エリート集団による小児性愛」というデマに似てないだろうか?)
フリーメーソンと関係ある、薔薇十字の思想。薔薇十字の創始者といわれるローゼンクロイツ(実在したかは不明の架空?の人物)は、数学研究と楽器制作、瞑想の日々を送っていたといわれているが、それは、なんとなくピタゴラス教団を連想させる。音楽家であるモーツァルトが、音楽と数学を重視するピタゴラス教団に似たフリーメーソンに惹かれるのも無理はない。(モーツァルトは数学が得意だった)フリーメーソンで、コンパスと定規が紋章になっているのも、「幾何学を知らざるもの、この門くぐるなかれ」のプラトンのアカデメイアや、入団する際に厳しい数学の試験があったというピタゴラス教団を連想させるが、おそらくルーツはピタゴラス教団にあるのではないだろうか。
『魔笛』の儀式にエジプトの神(イシスとオシリス)が登場するのも、ピタゴラスがエジプトで宗教と数学を学んだことと関係あるのだろうか?万物の根底には数学があるというピタゴラス教団の考え方は、キリスト教を合理的に解釈するフリーメーソンの「理神論」、(理性によって神に到達)と、宗教と理性を一致させようとするところは同じ。しかし、宗教と科学(理性)を一致させようとすると「・・心霊を科学する」のように、どうしてもオカルト的な方向に向かう危険がある・・
ユダヤ陰謀論など、「陰謀論」というのは反理性のネガティブな部分から生まれてきたものだが、それでは、「理性」は万能だろうか?
信仰の深かったジョン・ロックは、人は「信仰」によって人生に意味を与えると合理的に解釈し、トクヴィルは「そもそも、人間が、(理性)にとって限界があるのだ」と考えた。
大自然を動かす自然法則は「神の法則」なのだろうか?自然法則(科学)と神の法則(宗教)が一致するとすれば、橋爪氏の言うように、資本主義経済における市場での「神の見えざる手」が働くという発想も当然生まれてくる。そして、格差経済は「自然の摂理」の結果ということになる。
フリーメーソンのルーツとされているテンプル騎士団の生き残りはポルトガルに逃げ、そこから大航海時代、資本主義の源でもある植民地の搾取が生まれたという説もあるが、つまり、テンプル騎士団の「聖杯」は今や「貨幣」になったということだ。(この考え方は魅力的だが、安易に受け取ればユダヤ陰謀論などにつながりやすいだろう)
古代、ピタゴラス教団は(自然法則と神の法則)二つのものの一致には、数学が鍵となると夢見た・・ここではないどこかに調和した数学的秩序があるだろう、と。そして、争いや暴力などは人間の不調和から生まれると考えていた・・つまり、私たちの世界が不調和なのは、自然法則や理性に問題があるのではなく、私たち自身に問題があるということだ・・
「理性」の反対の「無知」「迷妄」からは陰謀論が生まれるだけ・・市場の自由経済にゆだねても「神の見えざる手」で格差が起こるだけで、さらに科学の発展は、核兵器や原発事故を見てもわかるように人間のコントロールを遙かに超えてしまうのである。そして、自然法則も神の法則も一体なんなのかよくわからないまま、AIの時代に突入し、私たちはこれからまさに「理性」から、「人間とは何か?」を問われる時代を迎えようとしている・・
トクヴィルが洞察したように、そもそも人間が「理性」から見れば限界があるのだ・・すると「人間の限界」を知ることが、今の私たちにとって最も必要なことじゃないだろうか・・
トクヴィルは民主主義よりも、むしろアイルランドから移住したカトリック集団に、真の共和制を見たが、宗教には合理主義を遙かに超えた「不可知なもの」に対する尊敬があり、世界に対して謙虚な姿勢を持つからだろう。
神学者ヘンリ・ナウエンによると「愚かさ」(absurd)にはラテン語の(surdus)つまり耳が聞こえないという意味があるという。頭の中が偏見と思い込みでいっぱいだと、他人の言葉が耳に入らず相手の意図が理解できないように、愚かさは他人にも世界に対しても、結局心を閉ざしてしまう。思い込みだけで人は「わかったつもり」になったり、「魔笛」にあるように言葉は人を欺く力も持つし、また明らかな悪意の含まれたヘイトスピーチや中傷は人を傷つけ対立を煽る・・今の社会の様相を見ていると、結局、私たちは一体、どれだけ人間のことをわかっているのだろうか?という疑問が起こる。インターネットからQアノンが生まれたように、まさに「文字情報」「言葉」によって対立が深まったのだ・・決して「言葉」そのものが悪いのではなく、それを発信する側と、あるいは受け取る側の人間の資質に問題があるのだ・・往々にして受け取り手に問題がある場合、文脈の中で言葉を微妙に変化させてとらえられていないことが多いが‥結局、私たちはいまだに「理性」というものをうまく使いこなせないということじゃないだろうか?
『魔笛』を聴いていると、モーツァルトはもしかしたら、なによりも信じていたのは「音楽」だったんじゃないか、と思う。そして、「音楽」だけが、彼の心をすんなり伝えることができたのだろう。
2023-04-28 15:01
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