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山猫軒ものがたり №14 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

無言のいのち 2

             南 千代


 家探しが始まった。大家も地元を何かとあたってくれたが、場所はなかなか見つからなかった。そうしている間にも、出ていかなければならない期限はせまってくる。それにしても、大家に言ってくるのが期限の一カ月前だなんて。
 私たちは、残土処理業者に頼んで、早く出ていきたいのだけれど、適切な土地が見つからないこと、ついては期限を延ばしてほしいこと、同時に、協力して一緒に引っ越し先を捜してくれるよう頼んだ。
 すでに、埋め立ては始まり、家の裏の竹林は伐られ、下り道は姿を消してブルドーザーが唸りながら残土やガラを運び、這い回っている。谷を埋めた上に家をカサ上げするという案も出て、曳屋である集落の峰岸さんが家を見にきた。
 建物は、そのまま移築することができるが、同じ要領で、埋め立てたその上に、家をそのまま持ち上げることができるのだとか。私は、それはいい案だと思ったが、夫は反対だった。「家はそのままでも、環境は変わるんだよ。工事は一年で終わるものやら三年かかるものやらわからないし、その間ずっとダンプのこのひどい音を聞きながら、土ぼこりの中で暮らすのはいやだ」
 もっともだ。かといって、引っ越し先は見つからない。さしあたり、年内に引っ越すことは免れそうだった。私たちが頼まなくても、工事は実質的に遅れていた。谷を流れている、湧き水の水脈の水抜きが、問題になっているらしい。
 残土処理業者は、大きなパイプを埋め込んで水の流れ道を作り、大丈夫であることを、地主たちに説明していた。地質に詳しくない私には、大丈夫であるのか危ないのかわからないが、夫の言うように、環境が変わるのは確かだ。この地に住むのは、やめた方がよさそうだ。でも、家は見つからない。
 明日のことを考えると何も手につかなくなるので、家捜しも含めて私は「今日」を愉しむことにした。先のことを思い煩い、一日を無為のうちに過ごすよりは、今、やりたいことをやろう。私が生きているのは、明日でも昨日でもなく、「今」なのだから。
 「ねえねえ、お味噌をつくらない?」
 電話をかけてきたのは、八王子の半田さんだ。
 「やっと大豆も積れたし、作りたいと思ってたのよ。でも、むずかしくない?」
 「簡単よ。教えてあげるからやってみたら」
 彼女は映画が大好きで、児童映画の会とやらで、モスクワやパリまでひょいひょいと出かけていく行動派である。通称オリーブ。ご主人はアニメーターで、Tプロダクションでジャングル大帝レオやひとつ目君などを描いている。
  私たちがここに引っ越したことで、彼女の住まいと近くなり、蛍の夕べや月見の会など、さ まざまな墟びを企てるごとに、ジュン君とマリちゃん、二人の子どもを連れて山猫軒にやってくる。
 半田さんに教えられた通りに塩や麹を用意し、味噌を詰める大きなカメも買い込んだ。作り方はほんとに簡単だ。柔らかく煮た大豆をつぶし、塩にまぶした麹に混ぜてカメに入れるだけ。塩蓋をして後は味噌が熟成するのを待つ。十カ月もすれば食べられるという。
 代わりに、半田さんに私が教えたのは豆腐づくり。夜、水に浸けておいた大豆を朝、ミキサーにかけ、煮て絞る。汁は豆乳でカスほおから。豆乳にニガリを入れれば豆腐で、これまた実に簡単。豆腐はざるに入れて、湧き水の所にさらしておく。
 豆腐の型は、陶器が入っていた木箱を利用して作ったが、豆乳にニガリを入れてオポロ状に固まったところをすくい上げ、そのまま熱々に醤油をたらしてたべてもおいしい。
 同じ固めるならひと工夫、と刻んだネギやカツプシを混ぜて固めてみた。薬味がすでに入っているので、食べる時は醤油だけですむというわけだ。しかし、これは夫には不評であった。いいアイデアだと思ったのに。
 たくさん出るおからは、うの花やコロッケ、ケーキに使う。あまったら鶏にやって、卵に変えてもらう。
 豆腐は、半田さんの家でも好評だったとか。私の味噌も十カ月後が楽しみだ。
 「引っ越し先もないのに、味噌を仕込んでどうするの? こんなにカメを並べちゃって」
 夫のあきれ顔を横に、正月を前にして、私は障子も張り替えた。三十日にはまたみんなで餅っき大会をし、二度目の正月料理を作った。年越しそばも作ったが、麺が長くつながらずにポロポロのそば汁になった。それでも夫は、おいしいと言って食べてくれた。
 犬の華ちゃんのおなかが、だんだんふくれてきた。もしかして。やっぱり。初めての妊娠らしい。もうじき、仔犬が生まれそうだ。父犬は為朝である。めでたい。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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