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日めくり汀女俳句 №115 [ことだま五七五]

十二月二十九日~十二月三十一日

     俳句  中村汀女・文  中村一枝

十二月二十九日
行人(ゆくひと)に歳末の街楽(がく)変り
         『春雪』 歳末=冬

 あと三日で二十世紀も終わる。新しい世紀に何が起きるのか、やっぱり少しでも長く生きて世の移り変わりを見てみたいという気持ち、同時に、これ以上悲惨で残酷な事件や出来事は見たくないという気持ちも強い。
 今の若者は理解し難いという声もある。事件が起きる度に、戦後の精神教育の不毛を嘆く声もあがる。でも私が若者のとき、戦後のアプレゲールと言われた世代だ。そんな立並なものじゃなかった。楽をして済むならそうしたいと思い、大人なんて判らずやのうるさい存在と思った。大人になりたくなかった。それでも、やっぱり大人にはなってしまった。

十二月三十日
歳晩(さいばん)の月の明さを身にまとひ
          『春暁』 歳晩=冬

 一年間汀女の句を読み続けてみて、改めてこの人の感性の細やかさ、豊かさに突き当たった。
 不肖の嫁は何一つ知らず、そこに大きな岩があるから、ぶつかってやろうと不敵な思いを抱いていたのに、いつのまにかその岩に抱きすくめられていた。
 「一枝さん、余計な事ばかりほじくり出してね、私はそっとしておこうと思ったのに」
 生きていたら叱られそうである。「でもお姑(かあ)さん、今のあなたは何が出てさても、何を書かれても小ゆるぎもしない、大きな岩ですよ。それだけに私もぶつかり甲斐がありました。これからもぶつかっていきますよ。。

十二月三十一日
春暁や今はよはひをいとほしみ
        『芽木威あり』 春暁=春

 クリスマスや正月のリースにローズマリーを使うことを教えてくれたのは「熊本日々新聞」の記事だった。
 -年間、汀女を通して私は素顔の熊本を知った。汀女は一生かけて故郷の野や水や、木
や花を愛した人だった。女性には珍しいくらい感傷や思い入れのない人だが、生まれ育っ
た土地への愛情は強烈である。幼き日の種(くさ)ぐさ、父母を語る時の情愛の深さ、江津湖は汀女俳句の源泉だったとあらためて思う。
 一年間私のつたない文章を読んでくださった方たち、そして熊本に深い感謝の念を抱きつつこの稿を終わりにする。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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