山猫軒ものがたり №11 [雑木林の四季]
暮らしを耕す 2
南 千代
「あんれ、本気で畑をやりてえのかよ」
ばあさんは、お茶をついでくれながら言った。
「いえ、自家用分だけ、少し作れればいいんです」
「今どき畑がやりてえなんて、変わってるよ。だけど、百姓やるのはいいこった。昔はみんな、自分たちが食うもんは、味噌も醤油も、自分ちで作ったもんだ。今は買ったほうが早いけどな」
夫が頼みごとをきり出した。
「どこか貸してくれそうな畑はないだろうか。わずかな広さでかまわないんだけど」
「そんなに畑がやりたきや、そうだな、うちの下に篠竹の薮があんだろ、その横のカヤっ原を耕してみな。よかんべ、じいさん」
「ああ、あそこしかねえな」
大家の家は、陽あたりのよい丘の上に建っており、その周囲は自分の土地だった。庭続きの南の平地は、自宅用の畑にしていたが、東斜面はそのままに放ってあった。
大家の家では、じいさんとばあさんが孫の守りをしながら畑や山仕事をやり、同居している娘夫婦と下の娘は、勤めに出ている。
私たちは、カヤ野原に案内された。
「あの、ここ全部、ですか?」
「そうだ。少ねえか? でも、一反はあると思うべ」
「あ、いえ。充分すぎるほどで……」
二、三十坪程度の家庭菜園をイメージしていた私は、三百坪もの広さに、どうしようと思った。これを開墾から始めろというのだろうか。
が、頼んだ以上、こんな広さは要らないとか開墾しないですむ所を、などと言えた筋合いではない。私たちは、ていねいに礼を言い、冬の間に開墾し、春から畑を始めることを約束して帰った。
正月の七日を過ぎると、地元の子どもたちが、松飾りやしめ縄、お札などを集めにきた。どうするのかと開くと、十四日の夜にみんなで燃すのだと言う。どんど焼きの行事だ。
小野路では・だんご焼きと呼んでいる。浅間神社の坂を下った空き地が、だんご焼きの広場になるらしい。
だんご焼きの日、私たちも出かけてみることにした。だんご焼きというからには、だんごがいるのかなと思ったが、要領がわからない。また、組のつきあいもしていないので、見物するだけ、の方がよいかもしれない。とりあえず、行ってみよう。
空き地には、青竹でできた四、五メートルもありそうな大きなやぐらが立っている。その周りに、みんなの家から集めてきた松飾りなどが積まれている。
あたりが暗くなり始めた頃、火がつけられた。何しろ、竹の薪である。燃え上がると火の勢いは恐ろしく強い。パーンパーンと竹がはじけるたびに、火の粉が花火のように散る。消防団の人たちが、遠巻きに火を囲んでいた。
子どもたちが、周りをキヤアキヤア言いながら走り、だんごをつけた長い棒を火にあぶっている。
だんごを焼くための棒は、二メートルほどのカシの枝である。先端は、枝が三、四に分かれた所で十センチほど残して切り落としてあり、そこに米粉で作っただんごを刺して火にかざす。
「まあ、南さん、だんご焼きを見にきたの。だんごは?」
声をかけてくれたのは、浅間下の街道沿いに住む峰岸さんの奥さんだ。
「どうするのかわからなかったんで、ないんです」
「まあ、だんご焼きに来てだんごがないんじゃねえ。ほら、うちのを一本あげるわ。この火で焼いただんごを食べると一年間は、無病息災だっていうからね」
私は、奥さんがくれたカシの枝を掘った。急に、地元の人間になったような気がした。大家のばあさんも、孫のみっちゃんにだんごの棒を持たせてやってきた。
「あんれ、南さん、来てたんかい。だんごまで立派に作って」
「いえ、これ峰岸さんの奥さんにいただいたんです」
「そうかい、よかったな」
火に近よると熱いので、一分ほど焼いては離れ、また焼き。ところどころ黒く焼けこがしてしまったが何とか焼けた。米の粉を練っただけのだんごなので、味としておいしいというものではない。
また、ひどい猫舌の私には、辛いほど熱いだんごではあった。しかし、これで一年が健康に暮らせると、しっかり信じられただんごだった。
野菜を作るために借りた土地の開墾は、腰痛に悲鳴を上げながらも順調に進んでいた。カヤの根の周囲にスコップを入れ、大きなひと株ごとに掘り起こしていく。土の中を這っている太い嶋も引きずり出し、十をクワでならしていく。少しずつ畑の顔になっていった。
近くの園芸農家のおばさんが、余ったサヤエンドウの苗を十株ほどくれ、それを植えたのが最初の作物である。ジャガイモの種イモを植える三月頃までには、一反のほとんどを畑地に仕上げた。
気軽な菜園を始めるつもりが、大家の好意のおかげで、しっかり、百姓になりそうな気配である。犬用、私用とそれぞれにピカピカのクワや背負いカゴを買い込み、夫は地下足袋まで履いて梱通いを続けた。
ジャガイモは、イモの芽を切らないように二つか四つ割りにし、灰をまぶして埋めていく。
この頃にはもう、もらったサヤエンドウの菌がグングンと伸び、薄桃色のやさしい花をたくさんつけ始めた。
ネギ、春菊、小松菜、大根、人参、ゴボウ、ホウレンソウ……。春に種をまく野菜は多い。広々とした畑がうれしくて、私たちは、あらゆる野菜の種と、「やさしい野菜の作り方」の本を買い込んだ。
種のまき方やうねの作り方は、野菜によって異なる。畑で、種袋を前に、教科書を開いていると、大家のばあさんや下の畑をやっているばあさんが、笑いながら教えてくれることも度々であった。
教え方は、「そこに、コブシの木があんだろ。その花が二分咲いたら、葉ものをまきな。花が散り始めたら、インゲンだ」と、いう具合。
この教、教科書の「三月上旬がまき時」という表現に比べると、一見とてもあいまいなものに感じた。しかし、あとで考えてみると、ばあさんの教、志方が正確だと気づいた。
野菜は生きものである。作り方や、まき時は、その地域の温度や土地の性質、環境に大きく左右される。同じ地域でも、その年によって暑さや寒さの具合が違うこともある。全国共通の文字、警より、畑のそばに立つ嘉の木の方が、ずっと正確にまき時を教えてくれるというわけだ。
ジャガイモの濃い緑の芽が、土の中からモコモコ現れた。サヤエンドウも柔らかな黄緑色の小さなサヤをたくさんつけた。けなげ、な感じだ。ちぎってしまうのが惜しくて、もう少し大きくなってから、もう少し育ってからと採る気になれず、食卓にマーケットで買ってきたサヤエンドウを出し、夫にしかられた。
五月になると、夏野菜の酉の植、えつけだ。ナス、ピーマン、トマト、キウリ、カボチャ、サツマイモ、トウモロコシ。オクラやゴマなどの種もまき、ショウガや落花生も種用の実を埋める。葉ものは、もう間引きをしつつ食べられるほどに育ってきた。小さな葉っぱを引き扱いで捨てていたら、ばあさんに言われた。
「大きな縄を抜くんだよ。そしたら、食べられるし・小さな葉が育つだろ」
そんなことは・教科書には書いてなかったが、ほんとにそうだ。このやり方は、根を育てる大根や人参向きではなく、成長適期の幅が広い葉もの向きである。出荷する野菜ではなく、自家用野菜を育てるための、すばらしい知恵だ。
『山猫軒ものがたり』 春秋社
『山猫軒ものがたり』 春秋社
2023-01-29 15:28
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