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夕焼け小焼け №7 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 シナそばの記憶

              鈴木茂夫

 私とラーメンの出会いは、友人の上京があったからだ。
 昭和25年の春、高校の同期生・西川秀幸君は一年遅れで早稻田に入学した。ずいぶん辛い思いをして勉強したのだと話した。何人かの高校の教師が応援して家庭教師をしてくれたという。
 西川家は、名古屋の南西にある伊勢湾奥の漁業の中心・下の一色の網元だ。大小の河川が流れ込んでいて、淡水と海水が入り交じる汽水域だ。浅いところでは、貝やウナギがよく取れる。少し深いとこところで網を張ると、はクルマエビやモエビ、海底にすむキスやカレイなどのソコザカナが入るという。
 西川家の入学を祝う宴会に招かれた。数十人の町の人たちが大広間を埋めている。上座に両親と西川君がいた。魚を中心にした豪華な料理が並び、嬉しそうに酔っていた。
 西川君は上京。阿佐ヶ谷に下宿した。私が大学での単位の取り方、文学部の講座のよしあしなどをあれこれ話すと、うなずきながら 真面目に聞いていた。
 別れを告げて阿佐ヶ谷駅の北口広場に来ると、一軒のこじんまりした店に気をとられた。  「ホームラン」「ホープ軒」店の名前は、このどちらかなのだが、今ははっきりと思い出せない。 店の奥に大きな窯というか鍋と言うべきか、そこから淡く湯気があがっていた。鉢巻きをした男が二人、調理場にいる。
 二つばかりのテーブル席に座ると、「いらっしゃい」と声がかかった。献立はないかと見回しても見当たらない。
 「あのう、シナそばを」
 とつぶやくと、
 
 「うちには中華蕎麦しかないんですよ」
  鉢巻き男が笑顔をみせた。
 「おまちどおさま」
 シナそばが出てきた。初めての出会いだ。引き揚げて以来、名古屋の三年間で口にしたことはない。澄んだ茶色のスープ、少しちぢれた麺、シナチク、なると、薄切りの肉片が浮いている。 まず丼を両手で持ち上げ、スープをすする。醤油味だ。うまい。 麺はそばともうどんとも違う味だ。 子どもの頃、シナソバをたべたことがあったと記憶をたどるが思い出せない。 夢中になって噛み、飲んだ。おなかが温かくなる。
 「ありがとうございます。30円です」
 なにか豪遊をしたような気分だった。

  秋になった。
 新宿駅の東口に、ホープ軒と看板を出した店ができた。円形のカウンターに座ると、その中が調理場になっている。看板に書いてある値段は30円と変わりはない。阿佐ヶ谷から新宿に進出したのだろうか。勤め人と学生と見受ける客で満席だ。
 店に入ってきた客の一人が「中華蕎麦一つ」と声をかける。 どうやらいつしかシナそばの呼称は消えたようだ。
  私は西川君と連れだって店に入った。
 「はいお待たせしました」
 麺の香りが鼻を刺激する。  スープの味が濃くなっている。変化したのだ。
   武蔵野館の向かい側、聚楽の隣は渋谷食堂だ。勤め人や学生の客が多い。カレーライス、オムライス、カツライスなど、さまざまな料理が、格安の値段で提供されている。子細にメニューを眺めてから焼きそばを注文した。待つまもなくウエイトレスが持ってきた。
 だし汁で片栗粉や葛粉を溶いてとろみをつけ、キャベツ、なると、豚肉などのあんかけを焼きそばにかけてあるのだ。汁は温かい。口にすると、美味に浸される。値段は40円。
 嬉しくなる。隣のテーブルでも焼きそばを食べていた。酢をかけている。私もそれにならう。味が豊かになって好ましい。
 学校からの帰途、夕食に先だってたべることが多くなった。
 ラーメンと焼きそばは、忘れられない味となった。



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