SSブログ

日めくり汀女俳句 №113 [ことだま五七五]

十二月二十三日~十二月二十五日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

十二月二十三日
母恋しかき餅あぶる長火鉢
      『芽木威あり』 火鉢=冬

 「あなたのおふくろの味って何だった?」
 弟にきくと、やや間があって「何だろう ね。麦こがしかなあ」おぼつかない答えで笑ってしまった。そう、私も母の昧って何だろうと考えてみても、突嗟には浮かんでこない。母が料理を作らなかったわけではない。煮ものも揚げものもひと通り作ってくれたのに、特に舌の先に覚えていないのは、少し申しわけなかった。只、父の味は明確に記憶にある。父の煮た魚の煮つけ、美味しかったと思うのだ。辛さと甘味がほどよく調和し、魚の鮮度がひと噛みしただけで舌先に伝わってきた。おふくろの味ならぬ父の味の豊かさである。

十二月二十四日
ボーナスや今宵も大都霧深め
       『紅白梅』 ボーナス=冬

 ボーナスという言葉がありがたい重い響きを持っていたのは、いつ迄くらいだろうか。
今年も、不況はいちだんときびしい。クリスマスの飾りは華やか、盛り場はにぎわっていても、人の心には荒れた風が吹いている。
 ボーナスの入った給料袋を持って、夫達が家路をいそいだのは、ずーっと昔の話。思いがけぬ臨時収入が、心を豊かにふくらませた。
 今、クリスマスイルミネーションは華やかに彩られ、素適な店も増え、欲しい物は手に入る。連日テレビでは料理の名店を紹介している。町も人も一段と綺麗になったのに、何故か昔のような心のぬくもりが今三なのだ。

十二月二十五日
人参も太りゐし傷つきながら
        『薔薇粧ふ』 人参=冬

 汀女のことを書き出す前から、私は、汀女の句を「台所俳句」と呼ぶことに違和感があった。若いころはおぷい紐で子供を背にくくりつけてということもあったらしいが、生活の場と作句の場はたまたま場所は同じでも、汀女はいわゆるぬかみそくさい奥さんとは程遠い。高級官吏夫人だったからとか、手伝いが常時いたという話ではない。普通の主婦が持つ台所への興味など、あまりなかった気がする。食事を作ることが好きで、食べることが楽しくてというタイプではない。汀女にとって、台所はいつも仮の居場所にすぎなかった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。