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日めくり汀女俳句 №111 [ことだま五七五]

十二月十七日~十二月十九日

     俳句  中村汀女・文  中村一枝

十二月十七日
夫(つま)と子をふっつり忘れ懐手
          『春雪』 懐手=冬

 この句を見ていて思うことがある。汀女は ふっつりと忘れることができるタイプだったのだろうか、それとも、そうやって宣言しないとぐずぐずと糸を引いてしまう方だったのだろうか。
 私は汀女は切り替えのすぱっといく女性だったと思う。だからこそいくらかの後ろめたさをこめたおもいが、いい句になったのだろう。
 女は誰しも、時に一人の気ままな存在になってみたいという、ひそかな野望?を抱きながら、家事をしているのかも知れない。
 「これは面白いですね」と虚子が柔和な笑顔で、直接はめてくれたそうである。

十二月十八日
冬帽子大人の話ききたき子
         『薔薇粧ふ』 冬帽子=々

「今日、お弁当なんだよ」。小学一年と二年の近所の女の子が、目を輝かせて可愛い袋を振ってみせた。「あのね校舎直しててね。給食室使えないの」。送りに出てきたママに、「お弁当、大変ね」と声をかけると、「子供が大喜びなんです」。「でも寒い時冷たいお弁当いやじゃないの」「それがいまホカロンを下へ敷くから温かいんです」
 冷飯が嫌いでお弁当嫌いになった私、今はそういう手があるのかと。それぞれに工夫をこらしたお洒落(しゃれ)な弁当袋も一寸羨ましい。私も、今ならお弁当嫌いにならなかったのに。

十二月十九日
いつしかに悔(くい)も残らず菊枯れし
           『春暁』 枯菊=冬

 二〇〇〇年の暮、日一日と、二十世紀が終ゎりつつある、という実感はなかった。いつもの年末である。人が慌ただしく働いている時に、さからって遊びに行ったりのんびり何もしないというのも一寸いい。そののんびり時間がいつもに増して豊かに感じる。
 主婦というのは、さしたる用事もないのにせわしく追い回され、気ぜわしい思いを捨て切れない。一寸向きを変えて立ち止まり、流れに抗してみると、急に新鮮な時間がある。
小春日和の一日、大掃除したいのを我慢、庭の掃除もやめ、本を読んだり映画をみたり、まわりの色が違ってくる。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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