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日めくり汀女俳句 №110 [ことだま五七五]

十二月十四日~十二月十六日

   俳句  中村汀女・文  中村一枝

十二月十四日
大石の座はまづ決まり冬日和
       『紅白梅』 冬日和=冬

 父尾崎士郎の「人生劇場」の冒頭に、こんな文章が出てくる。
 「まったくあいつは「吉良だ」ということになると旅に出てさ、肩身の狭い思いをしなければならなかった時代がある」。
 十二月十四日の討ち入りの前後になると、私は父の故郷愛知県吉良を思い出す。歴史の眼が開かれ、吉良上野介が領内では名君であったことも知られ、赤穂市と吉良町で友好関係も生まれている。ただ、今もなお、芝居もテレビでも大石内蔵助に対し吉良は悪役である。日本人の忠臣蔵熟は消えそうもないから、吉良上野介の悪役は続くのだ。

十二月十五日
枯蔓(かれづる)の引きのこりたる虚空かな
           『薔薇粧ふ』 枯蔓=冬

 いつも犬の散歩道にしている静かな住宅街の細い道に、警官が立っていた。何でこんな所にと思い、先へ行くと私服の刑事らしいのが四、五人。すわ何事とおばさんは色めき立った。
 次の日、テレビのニュースも出て、たちまち奥さんたちも知るところオウムの元幹部がこの辺に引っ越してきた。その騒ぎと知れた。小学校は集団登下校するとか、署名運動を起こすとか、あっという間のつむじ風。その場所と目と鼻の先に父が「人生劇場」を執筆した旧居跡がある。七十年たった今、もう少しましなことで知られてほしかった。

十二月十六日
毛皮店鏡の裏に毛皮なし
       『春雪』 毛皮=冬

 毛皮のコート一枚も持っていない。経済的な理由も一つだが、あまり好きでない。同じように、宝石にも関心がない。私が気がついた時、汀女も指に一つも指輪をはめていなかった。何もはめていない指が、とても清々しく美しかった。心に宝石を持っている人は何もまとう必要はない、なんてキザなことを思ったりした。
 指輪は嫌いだが、イヤリングは好き。夜店で買った五百円の小さいガラス玉を耳につけていると、「すてきなダイヤ」と言われた。私は、えっと思い、以来それに決めた。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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