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夕焼け小焼け №1 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

夕焼け・小焼け

           鈴木茂夫

 朝6時前後に目が覚める。起き上がって布団を整頓する。眠気が残っているが洗面所に行く。鏡の前に立つ。まぎれもない寝ぼけ顔の老人がいる。
 昭和6年生まれ、当年91歳の私自身だ。
 歯ブラシを口にする。歯は上に2本しか残っていない。歯茎のぬめりを取るだけだ。白くなった眉毛がわずかに伸びていることが多い。小さなハサミで刈り込む。老けているのが、少しはマシにしたいから。顔を洗って電気カミソリをあてる。上下の義歯を入れる。補聴器を装着する。眼鏡をかける。これでようやく一人前の感触が保たれる。毎朝の儀式だ。
 二つ違いの妻は、施設の世話になっている。
 朝の食事は自分でする。牛乳をカップに注ぐ。パンをトースターに入れて焼く。。コーヒーの豆を挽く。フィルターごしにコーヒーを出す。袋から朝の薬を取り出す。テレビを映す。朝食のはじまりだ。新聞は来ない。購読を止めて数年になるのだ。テレビとネットで、世間のことはわかる。事件や事故は、知らなくても、困ることはない。

 食卓の妻の定位置だった椅子に座ると、夕焼けの富士山をよく見れる。
 日没の少し前から西の空は茜色に染まる。横に伸びる雲が暗赤色だ。
 富士山は逆光を浴びたように黒ずんでいる。
 太陽の端が富士山にかかる。
 壮大な沈黙の祭典のようだ。
 赤々と太陽が富士山に沈んでいく。
 夕焼けの輝きだ。
 しばらくの間、空は赤い。
 そしてあたりは夕暮れとなる
 妻・貞子は瞬きもしないで眺めていた。
 その横顔を私は黙って見つめていた。
 貞子は今、介護の人たちに抱かれている。
 私はあの夕焼けのひとときが好きだ。人生の最期にふさわしい光景だ。夕焼けを眺めながら世を去るのは素敵だ。
 友人、知人を含め同年輩の人たちが逝く。私にも死は間近になっている。私にあとどれだけの時間が残っているのか。わからない。
  死を考える専門家が、死の準備をするべきだと多くの著作を出している。 私はそれらに触れた。深い考察の上になされる主張だ。読んでいるともっともだと思う。しかし、我に返って考えると、なんの準備もできていない自分に気づくのだ。
まず、死をあまり怖いことだと思っていない。それは死を真剣に考え、死と向きあっていないからだ。死と向き合わないのは、死が怖いからだ。でもそれはしなければいけないとは思っているのだが。
  たとえば、往生のことがある。極楽浄土に生きるためには、死が前提だ。ひたすらに阿弥陀如来を信じきることが肝要だ。私は信じきれるのか、そこでつまずいてしまう。
 法然上人は、心が定まらなくても念仏すれば、阿弥陀如来は往生させてくださると述べている。しかし、死を思うと心が動揺するのだ。
ましてや臨終となり、肉体的な苦痛にさいなまれると、どうなるかはわからない。偉い仏教者や文学者も、穏やかな死を迎えてはいないという。
 そんなことを繰り返し考えて暮らしている。
  私は佛教大学で往生を学んだ。それが自分の血肉になっていない。そこでは知らなかったことを学んでよかった。しかし、それは知識の積み重ねで、生活人としての私のものにはなっていない。僧籍の師匠、先輩、友人がいた。 この人たちに聞くべきだった。
  しかし、死ぬのは私だ。すべての人が死ぬけれど、人は独りで死ぬ。私自身が自分だけの死を考えなければならない。
  覚悟ができていないままに、私は模索している。


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