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私の中の一期一会 №265 [雑木林の四季]

     ヤクルトの村上宗隆、王貞治の記録を超える56号ホームラン
     ~史上最年少の三冠王になった村上はプロ5年目の22歳~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘 

 プロ野球ヤクルトの村上宗隆がペナントレースの今シーズン最終戦で、DeNAの入江投手から56号ホームランを打った。
 村上は9月13日に54号、55号と2本のホームランを放ち、王貞治の記録55本に並んでいた。
 あと1本で王さんの記録を超える・・・
 あと5本打てばバレンティンの60本に届く・・・
 どこへ行っても“56号ホームラン”の話でもちきりになっていた。
 55号を打って以降、13試合60打席もホームランは出なかったのだ。
 王貞治さんに言わせれば
 「周りが騒ぎ過ぎですよ。彼はまだ若い、出てしまえばどうってことはないけど、2試合打てない、3試合ホームランが出ないとなるとチョット気になってくる。
 打てない試合が長く続いたけど、彼は野球人生の中でいい経験をしていますよ」と82歳のレジェンドは語っていた。 
 その頃の村上は「まだシーズンは終わっていない。もっともっとプレッシャーをかけて、押しつぶすくらいのプレッシャーをかけてもらいたい」というコメントを残した。
 村上のホームランを期待して神宮球場は大入り満員が続いていた。
 56号が出たあの時! 打球が舞い上がった瞬間「いった!」という感触があったのだろう、村上は笑顔でガッツポーズを見せゆっくり走り出した。
「長い1本だなと思いましたが、本当にホッとしました。これからも続けていくことが大事だと思っています。長いシーズン、こういう成績を残せるよう頑張りたいと思います」と村上は取り囲む記者団に語った。
 シーズンの最終戦の最終打席で、記録的なホームランを放つなどは流石であった。
 村上は2017年、九州学院からドラフト1位でヤクルトに入団した。
 当時の監督だった小川淳司GMは、初対面の村上を見た第一印象を「デカイ奴だなあ」と思ったことを覚えている。
 逆方向に長打を打てる選手だという評価も聞いていたので、将来の“4番打者”として育てることした。
 まず1年間は徹底して守備を鍛える方針で始めたが、2軍では開幕から4番を打たせた。
 シーズンの途中に「打撃なら、すぐに1軍で戦力になる」という話しが上がってきた。
 高校時代はずっとキャッチャーだったが、体型的に三塁手としてゼロから育てることにした。
 2軍で17本塁打していた1年目の村上は9月16日に1軍登録され、その日に6番サードで先発出場を果たした。
 小川GMは、監督としてチームがしっかり勝負している中で使うほうが“いい経験になる”と考えたと振り返っている。
 1試合4打席という中で打席を経験し、守備でも経験することは、消化試合とは精神状態に違いが出ると考えたそうだ。
 村上はスローイングでミスが出てエラーしたが、初打席で本塁打を打った。
小川GMは、初ホームランした村上の“精神的な強さと図太さ”に触れたシーンを昨日の事のように今も鮮明に記憶していると語っている。
 野球解説者の藤川球児さんは
 「今の村上は誰が投げても打ち取るのは困難だ。
 技術が優れているから、追い込まれてもファールで粘れる。ストライクゾーンの見極めも素晴らしい。
 見ていた試合でセンター左へのホームランは、外寄りのストレートを一振りで仕留めたものだった。
 バッテリーからすればギリギリのコースで勝負するしかない。                」
 外角ギリギリを狙った投球が甘くなったのを村上は見逃さなかったのだ。
 難しい球には手を出さず、甘いボールを確実に捉えることが出来る」と22歳の急速な進歩に舌を巻いたのである。
 クライマックスシリーズは第ステージに入って、ヤクルトは阪神との戦いに入った。
 13日の第2戦に村上は勝利の立役者になった。
 1点を追って、3回2死1塁で打席には村上が立っていた。
 雨が降り続き、途中38分間の中断もあって、集中力を保つのも難しい状況でもあった。
 藤浪晋太郎がフルカウントから6球目は、152キロのストレートを外角低めに投げた。
 これを捉えた村上の打球は逆風を付いて、レフトスタンドで弾んでいた。
 「追い込まれていたので、コンパクトに打つことだけを心掛けていた。低めの球だったがしっかりと押し込めた。逆転することが出来たので良かった」と喜んだ。
 村上は今シーズン阪神戦は苦戦していた。
 24試合で打率2割6分、7本塁打、17打点と決して良くない。
 藤浪にも4打数無安打、2三振と抑え込まれていた。
 大舞台で見せた勝負強さは、まさに「村神様」の本領発揮であった。
 翌日の試合は6回まで0-3と劣勢だったが7回に阪神の守備が乱れて2死満塁になった。
 ここで打席に入ったのが村神様だった。
 村上が打った打球はボテボテのゴロになった。
 ピッチャー浜地の1塁へのグラブトスは悪送球になった。
 村上が1塁へヘッドスライディングする間に、塁上のランナーは一掃になった。
 これがきっかけで、この回5点を奪って逆転勝ちで、ヤクルトは日本シリーズ進出を決めた。
 村神様は走者一掃のボテボテゴロが勝利につながって、ベンチへ帰って大笑いだったという。
 村上はホームラン王ばかりでなく、打点王であり、首位打者も獲得して三冠王に輝いた。
 22歳で三冠王は最年少記録で、2004年の松中信彦(ダイエー)以来18年振りの快挙だった。
 村上は「チームが優勝出来て、個人的にもいい成績を残せた。
 どの種目も、どの競技も、どんな場面でも1番になるのは難しいが、3つ取れたのは良かった」と語っている。
 メジャーへ行った大谷翔平と似ていると言われる村上宗隆は、今“日本で一番輝いているプロ野球選手”であることは間違いない。


 

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