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住宅団地 記憶と再生 №1 [雑木林の四季]

第一編 よみがえるドイツの団地を歩く

  国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

I ルール地方-企業家と労働者住宅団地

 2010年10月6日から5日間のフランクフルト国際書籍市参加を機にドイツの、とくに古い住宅団地を見ようと、空港におりたその日と翌日はフランクフルト近郊の団地にでかけた。書籍市は3日間できりあげ、10月9日にはオーバハウゼンにむかった。ルール地方をめぐった後、ベルリンを訪ねた。ここでは建設年代の古いルール地方の労働者住宅団地から書きおこす。
 ルール地方はドイツの代表的な工業地帯、かつての炭鉱と製鉄の中心地である。1950年代にはいり石炭から石油へのエネルギー革命で廃坑と鉄冷えが急速にすすみ、まちの賑わいや労働者住宅はどうなったか。戦後わが国の施策住宅のはしりは炭鉱住宅、それが無残にも廃墟にされていったのは日本だけだったのか、ドイツの現状も知りたかった。
 わたしは炭住を実際に見てはいないが、土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』や映画『にあんちゃん』、『幸福の黄色いハンカチ』などで知っているし、三井三池のたたかいや夕張の苦しみは聞いている。その炭鉱から追われた若い労働者たち数百人が、研修の名目でルール地方の炭鉱に渡ったはずである。多くは帰国したが、ドイツに残った人もいたようだ。そんなあれこれが頭に浮かんできた。
 ルール地方行きを決めたもっと直接的な理由は、この地方の労働者住宅団地にかんする情報が非常によく整理されていて、東京にいて書籍でもインターネットでも十分に入手できたからである。
 2010年は、エッセンを中心にルール地方がEUから「ヨーロッパ文化首都」に指定された年である。指定されると、その1年間は集中的に各種文化行事が展開される。観光客を呼びこむためにさまざまな案内書が英語版などでも出版される。以前からルール地方では産業遺産を掘りおこし世界にアピールするプロジェクト「産業文化ルート」が進められており、2001年にはエッセン北部にあるツオルフェアアイン炭鉱の第12竪坑がユネスコの世界遺産に登録された。
 このプロジェクトの観光ルート19番目か汗労働者住宅団地」Arbeitersiedlungである(「ジ一ドルング」は、ドイツ語で集落とか集合住宅を意味して、かならずしも団地とはかぎらないが、ここでは一般に「団地」の語をあてる)。インターネットではRout-IndustrekulturからThemenrouten19にはいると、ルール地方の産業文化に指定された団地名が数多く出てくる。さらに各団地の小史と概略、公共交通機関も検索でき、団地の風景も見ることができる。わたしは、ほか『ルーry地方の建築案内』Architektuhrer Ruhrgebietを参考にした。くわしい市街図は必携である。グーグル・マップで所在を確認しておくと、なおよい。風景写良のコピーをもっていると、現地でひとにたずねるときも役立つ。
 わたしは訪問先の下調べはしていくが、旅程は決めてはいない。決めても、そのときの体調や天候、交通事情や予期せぬ出来事等でどうなるか分からない。予定を変えることもある。地図にてらして容易に行けそうに思えた団地のデータはもっていく。現地に着き、行動をおこしてからの出たとこ勝負である。訪ねた団地がその地方の代表的な存在であるかどうかは知らない。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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