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地球千鳥足Ⅱ №9 [雑木林の四季]

自己嫌鳥

      小川地球村塾村長  小川律昭

思い込み
 思い込みと物忘れは関連があるのだろうか。正しく記憶していないことを正しいと思い込むのだから、結果として忘れたことと一緒であると考える。これも年齢によるものか、定年して毎日が日曜日になったせいか、緊張感から解放されたせいか、いずれもっと進行するであろうこの現象に、我と我が身に注意を喚起したい。今回は曜日から日付を間違えたようだ。生活の基礎である日付を間違えるようでは情けないと思う。一昨年旅先で同様に間違えて飛行機に乗り遅れたことがあるが、その時も間違った日を正しいと思い込んでいた。人間の記憶など本当にあてにならないと思う。ドライブで見知らぬ地方に行く場合、初回はしっかり地図を見てその通り間違えずに行くが、二回目はその記憶をたどるから間違えることが多々ある。慎重さを欠くということだ。

 今回は日付の件で何回も不審な現象に首を傾げながら、なおかつ自分の記憶が正しいと思い込み、間違っているのは他の人々、他の組織だと三日も信じていたのだから世話がない。その結果、予定通りに出来なかったのは英会話と週一回のゴミ出しで、自分だけの問題、日々の生活には影響なかったが、情けなさはひとしおだった。

 事の起こりは土曜日、スーパーマーケットにまとめ買いに行ったことだ。これが大もと。この日は既に日曜日であったのだ。なぜ間違えたか?一週間前の土曜日買い物に行っていたから、まさか一週間以上も食料が持つとは思わなかったからだ。そんな些細な勘違いから三日も過去に生きてしまったのだ。

 この日のテレビで放映内容と番組が違う、おかしい、と思った。だが、番組の印刷間違いだろうと思ってしまった。土曜なのに日曜日番組をやっていたのだから。次に日曜日(とこっちは思い込んでる)の朝方、知り合いから電話があった。明日の約束は行けないと。どうして火曜日のことを日曜日に「明日」、と電話がかかったのか不思議であった。さらに「月曜日の夜ニューヨーク株式が一万ドルを超した」とテレビが言う。おかしい。日曜日には株式はやっていないはずなのに…。それでも気が付かない。高値に近いから予告をやっているのだろうと、自分を納得させる方向にしか頭は活動しないのだった。翌日の早朝インターネットで昨夜の式を再現している。となると、今日は火曜日。
 はてさてゴミの集配はどうなっているのか外に出た。道まで上がって見てびっくり仰天。隣のゴミ箱がひつくり適してある。収集が終わった証拠だ。「ああ、出しそこなったー」とようやく思い込みの世界から現日時に呼び戻された。三日間、日を間違ったままで過ごしたことになる。生活には影響なかったが、これは重要な問題としてとらえ、今後の課題としなければならない。この機会に思い込み優先の思考を排除すること。疑問が発生した時点でそれが正しいかどうか、考えをゼロ点に戻して思い直してみることである。と、言葉で言うは易しいが、はてさて思い込んでいるグーフィー(間抜け)頭脳がそのように発展するかどうか怪しいものである。

自己嫌悪
 案の定、この三日間の思い込みよりもっとひどい状況を体験し、遂に自己嫌悪におちいった余りの忘れっぽさに、「もう生きている資格がないのでは」とほとほと自分に嫌気がさした。あれほど準備し、一つ一つチェックして必要なものは全部持って出たはずなのに、現場に来てみると肝心の書類がない。コンピューターのソフトを入れてもらうため、シンシナティ大学のコンサルタントを訪ねたのだが、彼のオフィスの場所とパスワードその他、このPCのインフォーメーションを書いた紙がないのだ。お礼の包みだけ、キーボードやマウスと一緒に持参していて、さらに重いPCのハード本体まで抱えているのだから、途方に暮れた。この馬鹿さかげんには我と我が身に愛想が尽きた。

 時間の約束はしているし、重いものを抱えてこの広い大学の駐車場まで歩き、それから片道三十分運転して必要物を家に取りに帰ることは不可能、当然間に合わない。やむなく、なんとかなるだろうとうろ覚えの場所に行って開いてみたが、「そんな人は知らんねえ」と言われた。私の英語が通じないのかも、としばらくそこで待って、結果としては近くの別室にいた彼と会えたが、彼の名前も間違えていた。CevinではなくKevinであった。ID番号やパスワードも忘れたのでソフトのインストールは駄目だと思ったが、そこは玄人、ちゃんとやってくれた。

 インストールされたものは英語版だった。これも仕方がない。コンピューター音痴で、英語が喋れず、物忘れもひどい自分に愛想が尽きた。今日ほど自己嫌悪を感じた日はなかった。そろそろ年貢の納め時かなとも、もう私を必要とする人間はいないだろう、とも思った。無駄に人生を過ごしてよいものか、自問自答の果てしない一日であった。

 一方「これを転機に自己改革しろ、困難を乗り越えるための努力をしろ、最大の原因は何とか超えてこえてきた。年だ、年だ、が先に立つと、少々の忘れ物はあたりまえだとの意識が働く。年齢は過去のものとして忘れ去ることだ。だが、思い込みで失敗するたび、忘れ物をするたび、年齢と結びつけたがるのも人情か。自己を非難することで己が慰められるのだろう。年齢を忘れようとして忘れられないのが人間の性かもしれない。

無意識行動
 電子レンジに入れたはずのメシがない。温めるつもりで入れたのになあ。何のことはない、冷蔵庫に入れているではないか。まったくの無意識の行動、頭と手がバラバラに働いている。頭ではメシを温めようと思ったのに、手の方は保存に働いているのだから年は取りたくないものだ。
 ワイフが常々言っている。「六十歳過ぎた夫婦をつらつら眺むるに、二人合わせて一人前だ。ああ、『l/2プラス1/2イコール1』の夫婦にはなりたくないものだ。念には念を入れて注意しないと、良い考えも出てこなければ記憶力はさらに退化して思わぬ目に遭いますぞ」と。
 忘れ物に及んでは言語道断、まったく忘れっぽくて自分に嫌気がする。忘れるのがあたりまえの年といえばそうだが、ボケ初めとは違うのだから ― そう思いたい ― 同じ忘れを二度繰り返さないよう、その場その場で思考に区切りをつけ、復唱しないまでも意識のある行動をとれ、と自分に言い聞かせようと思っている。

 遂にパーシャルも消えたが!
 今日ワイフが日本に帰った。約一か月食事の支度から解放されてのんびりさせてもらったがそのしわ寄せというか、早速パーシャル(部分入れ歯)が行方不明になった。はずしてクリーンにしたのはたった今のことなのに、保管すべき水を入れた容器の中に入っていない。さてーつと周辺を捜したら、なんとゴミ箱に捨てられているではないか。
 前回の不可解な行為は電子レンジと冷蔵庫をとり違えたことだが、今度はなんと捨てているのだからことは重大だ。なぜそうなったか合点がいかない。無意識行動が多くなるのが老人の習性か。
 この一か月はワイフに口うるさく罵られても、管理されていれば安泰ですんだ。みずからの意志では何もしなかった追従型人間であった。そのつけがきたのかな―
 (二〇〇一年八月)

『万年青年のための予防医学』 文芸社



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