海の見る夢 №37 [雑木林の四季]
海の見る夢
-イマジン―
澁澤京子
~彼等は見る目を持っていながら見ず、聴く耳を持っていながら聴かない~
エゼキエル12・2
いつの時代にも、戦争したくて仕方のない一部の人々がいる。彼等は「○○の脅威」を吹聴し絶えず脅すことにより、人々の不安と敵愾心、対立を煽るのが好きだ。そして、多くの煽られた群集は防衛的、戦闘的になる、概して警戒心が強く、臆病で素朴な人ほどプロパガンダに煽られやすくなるだろう。
ネットフリックスで9月に配信される「ブロンド」はマリリン・モンローの伝記映画で、マリリン・モンローの役のキューバ人女優がモンローに匹敵する美しさ。モンローにぴったりの女優さんがキューバ人・・ここで思わずケネディとキューバ危機を連想したのだった。ケネディはどんなに圧力かけられても、平和に解決しようとする意思を決して捨てなかったのだ・・
ケネディが暗殺されたのは1963年11月。私はまだ小さかったが、ケネディのファンだった母が「ああ、なんてことかしら!」とテレビを見て大騒ぎしていたのはよく覚えている。子供ながらに、まるで此の世の「正義」が殺されたように感じて結構ショックを受けたのだった。政治にそれほど関心のなかった母が大ファンだったことを考えても、当時の日本のケネディ人気がどれほどすごかったかは想像できる。古い政治体制を、この若くてハンサムな政治家がどんなに改革してくれるか、アメリカのみならず、多くの日本の人々も期待していたのだ。物ごころつくころから、テレビで観る漫画というと「ウッドペッカー」「マイティハ―キュリー」「ポパイ」などアメリカもの、ドラマも「FBI」「アンタッチャブル」「サンセット77」などアメリカのドラマばかり。アメリカ文化にどっぷりつかって育った私の世代には、おそらくケネディ大統領やアメリカ文化に親しみを感じている人が多いだろう。
その後、ケネディの女性問題(マリリンモンローとの関係)などの暴露本が次々と出て、(ケネディ=正義の人)がぼろぼろと崩されていた頃、レイチェル・カーソンが農薬の害を訴えて製薬会社から嫌がらせを受けていた時に、唯一手を差し伸べたのがケネディだったという事をはじめて知った。ケネディは早くから環境問題にも注目していた。政治家として優秀であれば、女性問題なんか別にどうでもいいと思う。政治的な功績ではなく、女性関係など私生活のスキャンダルばかり取り上げて暴露するのは卑劣だし、何か意図的で政治的な悪意さえ感じる。いくら私生活がクリーンでも、政治家として無能だったり、狡猾で腹黒い人間なんかいくらでもいるじゃないかと思う。
冷戦とレッドパージの1950年代。アメリカの「赤狩り」はすさまじく、少しでも疑わしい人は迫害、追放の憂き目に。共産主義がどういうものかもろくに定義できないまま、少しでも反抗的な人間は誰でも検挙された。当時のアメリカで共産主義者はマイノリティ、脅威にすらならなかったのにも拘らず。(今の日本ではそれ以上に共産主義は脅威でもなんでもないのでは?)しかし、そうした人権蹂躙と言論弾圧を片端から行っていたのである。(ブラックリストに載ったのは共産主義者というよりリベラルが多かったという)文化人の多いハリウッドでは多くの映画監督、俳優が「赤狩り」に抵抗した。(例外・ジョン・ウェイン、レーガンは赤狩り推進派)スパイの疑いをかけられて職を失い、自殺した映画関係者は少なくなかった。このレッドパージをルーツに持つのが勝共連合で、今、話題の統一教会の文鮮明が1968年にはじめた。いまでも自民党が関係しているのは、いまだにその時代の価値観を共有しているせいだろうか?神=自由主義 悪魔=共産主義・・などの極端な二項対立(この二項対立は陰陽思想からくるものらしい。)スパイ防止法の奨励・・岸信介は悪名高い「治安維持法」を制定した人。安部政権の時は「国家秘密法」。また、アンチフェミニズムで男尊女卑であり、同性婚などとんでもなく、家族中心(社会保障・福祉予算を削るためか?)の保守道徳。
激しい反共の嵐の中で、ケネディは共産主義には寛大なリベラルだった。(黒人差別反対・軍備縮小・ソ連との核実験停止協定・ベトナム戦争からの撤退)こうした公約を掲げたケネディが、国防省、CIAやレッドパージに熱心だったFBIフーバー長官などと対立してしまうのは自然な流れだったのかもしれない。そしてケネディが何よりも解体したかったのは、アメリカの軍事複合体、軍需産業と政治の癒着だったのである。
キューバ危機を描いた映画「13デイズ」を観れば、穏便に事を済まそうとするケネディに対し、苛立った軍部がケネディ兄弟相手にクーデターを起こす計画を立てていたことがわかる。国防省を信頼しなかったケネディは、密に個人的にフルシチョフ、カストロと直接のやりとりを行っていた。もちろんロバート・ケネディ、大統領補佐官、マクラナマ長官といった優秀な部下、そしてフルシチョフ、カストロの人柄も重要だが、やはり何よりもJFKの冷静で沈着な判断によってキューバ危機を回避することができたのだ。ケネディが、フルシチョフとの、カストロとの対話を密に進めて両者の信頼を勝ち得たのは、何よりも彼の誠実さと善良さのたまものだろう。悪意の人が人間関係に対立や不信感、分裂をもたらすのとは逆に、善意の人は人間関係を和やかに融合させる力を持つ。それは個人でも国と国の関係でも同じだろう。フルシチョフはケネディがCIAと対立して孤立していることを知り、何とか助けたいと思っていた。カストロとケネディの仲介をしたのもフルシチョフだった。
J・W・ダグラスの『ジョンFケネディはなぜ死んだのか』を読むと、ケネディが子供のころから虚弱体質で何度も生死をさまよったこと、大腸と脊髄に疾患を抱えて常に痛みに耐えていたこと、第二次大戦で従軍したとき、ソロモン諸島で生きるか死ぬかの経験をしたことが書かれている、ケネディが自己保身に走らずにFBIやCIA、財界と対立できたのも、共産主義者という違う立場に立つことができたのも、常に死を身近に感じざるを得ない虚弱な体質と従軍での生死にかかわるような経験が大きかったからだといわれている。死を恐れなかったのである。周囲の反対・脅しをものともせずに勇敢な行動をとらせた一因には、ケネディの育ちの良さも関係あるかもしれないが、同時にケネディという人は、自身の虚弱な身体を通して、他人の痛みや苦しみのわかる敏感な人でもあったのだと思う。しかし、そういう人が軍部に押し切られる形でベトナムでの枯葉剤使用に許可を与えてしまったことは、最大の痛恨事だったに違いない・・もう一つの痛恨事は、ベトナム大使(ロッジ)を任命したことだろう、この人選ミスによってベトナムのイニシアティブをCIAに掌握されてしまったのだ。ベトナム民族運動のリーダー、ジエムをCIAに殺されて、ケネディは衝撃を受け、落胆した・・そしてCIAとの対立はますます深まっていく。
「・・今私がベトナムから完全に手を引こうとすれば、マッカーシーの赤狩りが再び起こるだろう。でも再選されたあとでならやれる。」~ケネディ
ケネディは、軍部、CIA、FBIの反共タカ派、そして財界や軍需複合体の首脳たちすべてを敵に回していたので、常に戦略的に対策を立てる必要があった。完全なベトナム撤退をためらったのも次の選挙のため。
もしかしたら、真の意味でのリベラルが弱体化しはじめたのはケネディ暗殺からじゃないかと考える。(ロバート・ケネディもキング牧師も暗殺された)今の世の中に蔓延しているのは福祉・社会保障を削った自助努力型、弱肉強食型経済のリバタリアンだろう。「自業自得」「他人に迷惑かけるな」の罵声が「美しい日本」とともにやたらと聞こえるようになったのはイラク戦争あたりから。弱肉強食型経済の世界で、(自分のことで精一杯)の人が増え、ドングリの背比べで足の引っ張り合いになれば、日本が経済でも文化でも先進国から滑落していくのは自然のなりゆきと思う。そんな余裕のない状況では創造力というものが育たないだろう。リバタリアンに求められるのは強い個人だが、勝手に忖度して「統一教会」や「勝共連合」について、申し合わせたように自発的に口をつぐんでしまう国で、自律した個人など育つのだろうか。真実の追究よりも、和を乱さない方が大切な国では、静かなファシズムがおこるだけだろう。
民主主義に不可欠なものは「批判」なのである。統一教会やキリスト教右派のような保守的な新興宗教が政治と密接に関われば、その保守的な道徳がそのまま国家道徳になるのである(実際、勝共連合と自民党の改憲草案は似ている)新保守主義の道徳の特徴として、ただの社会的慣習を倫理と混同するところがあり、拠り所が何もない空虚な時代には、「共産主義=サタン」「社会的慣習=倫理」という、単純な善悪二元論や、形式的道徳のようなわかりやすいものに人は飛びつくのかもしれない。そうした道徳は、見せかけだけの人を増やすだけじゃないだろうか。もちろん、いろんな倫理観があってもいいが、問題なのはこうした保守的な道徳を、国家道徳として国民に押し付けることと、体制に対する批判が封じ込められてしまう事だろう。トップによるごまかしは、メディアにも国民にも影響を与えるだろう・・
明治時代、リベラリストの漱石は「国家道徳」はただの欺瞞であることを見抜き、学習院の講演会でスピーチした。~『私の個人主義』倫理というのは規制の価値の押し付けではなく、あくまで個人の内面に育つ自発的なものではないかと思う。(聖書の種まきのたとえはそういう意味では?)
「私は彼ほど、相手がしゃべる一言一句に耳を傾ける人を知りません。それに彼の答はいつも適切でした・・」ケネディについて~イザイア・バーリン(哲学者)
他人の話によく耳を傾け正確に理解し、的確な応答ができたという事は、ケネディはまさに理性の人だったのだと思う。すごく簡単な事のようだが、これができる人って実はとても少ない。他人の話を冷静に聞き正確に理解できる能力をもっていたから、常に全体を把握し、的確な状況判断ができたのではないだろうか。要するに、物事や人に対峙するとき、思い込みや偏見を持たないのだ。国防省を信頼しなかったのも、政治的に対立していただけじゃなく、その狡猾な二枚舌を早くから見抜いたのだろう。(逆にケネディはフルシチョフの方を信頼した)FBIフーバー長官は、CIAの大統領暗殺計画を知りながら何もしなかった・・というより、フーバーは狂信的な「赤狩り」の中心人物で、ルーズベルトの妻(富豪の娘で左翼)をずっと盗聴し不倫を暴露して、ルーズベルトを怒らせたり、J・F・ケネディの事も監視して盗聴するなど、特に異性関係に派手な人間を憎悪する、パラノイア的な潔癖症の人物だった。(ケネディの女性スキャンダルもここから暴露された)
~「・・彼(ケネディ)は問題の中にあるすべての可変的な要素に対する生まれながらの感覚を持っていた。誰かの考えに引きずられることがなかった。」ガルブレス
優れた人がそうであるように、ケネディも直観の優れた、他人の言葉に決して引きずられることのない人間だった。だから彼はどんなに孤立しても、自分の意志を貫こうとしたのだろう・・そしてそれゆえに殺されたのだろう・・
人は自分の見たいものしか見ようとしないし(自分にとって都合の悪いものは見ようとしない)、政治家もまた自分たちにとって都合の悪い事は隠してプロパガンダを流す。都合の悪いことを暴こうとすれば、恥もなく平気でごまかしたりするのは、つい最近の統一教会のニュースを見ても明らか。
1991年、オリバー・ストーンの『JFK』が公開されてから、「ケネディファイル公開を!」の市民運動が各地で起こり、1992年、ジョージ・ブッシュ大統領が著名して「ケネディ暗殺記録取集法」が制定され、2017年までケネディ暗殺に関わる資料をすべて公開することを定めた。J・W・ダグラスの『ケネディはなぜ死んだのか』はそれ以後に公開された膨大な新しい資料を基に書かれた700頁近い大作。堅い内容の本なので、速読の私もこの本を読了するのに何日かかかった。大統領に就任している時、ケネディがどんなに圧力かけられ嫌がらせを受けて孤立していたか、読んでいて胸が締め付けられる。射撃した犯人が複数であることを目撃した人の何人かは不審な死に方をし、あるいは行方不明になったりして、背筋が凍る思い・・ケネディの遺体を撮影したカメラマンも不審な死を遂げ、政府から口止めされていた担当医クレンショーは自分の見たことを『JFK-沈黙の共謀』に書き出版したため、誹謗中傷や嫌がらせを受けた。そうした口止め、不審死、嫌がらせが証言者に起こる時点で、すでに大きな組織が絡んでいることは一目瞭然なのに・・
何よりも、よくわかったのは周囲の人の証言からわかるケネディの魅力。「理性的」「誠実」「意志の強さ」「勇敢」「勘の良さ」「教養の深さ」「正義」「善良さ」「品の良さ」・・そうした美質は、女性関係のスキャンダルなどよりずっと人間にとって大切なものだし、むしろ、人の私生活を悪意で詮索して暴露するほうがよほど、人としてみみっちく恥ずべきことだろう。
もう二度と、ケネディのようなカリスマと魅力を持った指導者は現れないかもしれない。しかしその存在は、これからもずっと私たちに希望の光をもたらしてくれるだろう。
「・・私たちの問題は人間が作り出したものだから、人間が解決できるものなのです。人間は自分が望めばいつでも偉大になれるのです。人間の運命にかかわる問題で人間の力の及ばないものはありません。人間の理性と精神は、一見不可能な問題を何度も解決してきました。いまいちど、それができないはずはありません。・・」
J・F・ケネディ1963・6.10アメリカン大学卒業式でのスピーチ
2022-08-13 10:37
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