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梟翁夜話 №117 [雑木林の四季]

「根が深い話」〜安倍元総理暗殺事件の闇

          翻訳家  島村泰治

安倍元総理が兇弾に斃れ、世間が只ならず騒いでゐる。片や、左翼はそれみたことかと扇動口調をいや高め安倍亡きともモリカケは死なずとばかり雑言を吐き、これを悔やむ保守側は、俄に衝撃を受け止め兼ねて安倍亡き後の日本の行方を案じる言辞が後を絶たぬ。

定期購読する某誌の最新号が届く。封を開けば重苦しい青一色の表紙、同誌を作る人たちの弔意がひしひしと伝わる。犯行の現場では今尚悔やみの花が絶えず、弔問に訪れる人は十万超とか。その間、ようやく事件を巡る状況証拠があれこれと掘り起こされ、遅ればせながらことの真相を探る試みが緒に就いた感がある。現時点で観る限り、安倍暗殺事件は某宗教団体を巡る怨讐が素因では到底なく、遥か根の深い一件であることが透かし見える。

その状況証拠なるものを並べ立てるだけでも、これが只ならぬ事件であることが十分過ぎるほどに類推できる。ネット上で明らかになりつつある事実を坦々と並べ連ねるだけで、その異常さが浮き彫りになるのだ。

まず、犯人の言動だ。手製の銃を試し打ちした経緯がまず安直に過ぎること、二発で各三個の銃弾を打った云々の曖昧さも不可解だ。曲がりなりにも人を過ちなく銃殺しやうにはあまりにも杜撰な仕掛け、ほぼ即死との事態に結果するには如何にも不安定、不確実と言わねばならぬ。

次に、犯行状況を見るに警備体制の驚くべき不備、否、不審が明らかだ。二発撃たれた兇弾は発射のその間に数秒の間隔がある。その数秒間に警備が採った「然るべき対策」はほぼ皆無、事件後アメリカの某専門家が「ありえぬ行動」と切り捨てたほどにSPや警官の訳の分からぬ動きは不審を極める。最初の一発直後にまず何をおいても安倍氏を突き倒しても覆ひ被さるべきを、警備の誰一人それをしてゐない。数秒後に飛び来ったとされる二発目が全方向無防備の安倍氏を直撃したとされ、同氏はそのまま倒れたとされる。さて、この状況を真面に説明できやうか。「とされる」と括った文章は状況の異様さから俄に断言できない故の文字遣いだ。

戻って、逮捕後の犯人と取り調べる奈良警察の言動の異様さだ。逮捕後の取り調べで犯人は狙撃の動機を某宗教団体絡みの経緯にのみ集中、その間意図的とすら思へるほどに、問はず語りに政治性の薄さを述べ立ててゐる。加えて、動機の多様性は一切触れずに犯人の「自白」のみを殊更に詳細に公表し、メディアは競ってその旨を報道、素人目にもほかにあれこれ考えられる動機は一切触れられずに時間が流れる。明らかに何らかの意図が透かし見える。この一連の流れからことの異常性を見抜けるとするなら、これは此方側の見る目の至らなさと言はざるを得ず、私は全く同じ得ない。

さらに、安倍氏の死因を巡る不可解も私の理解を超える。素人目にも手製の散弾六発が人命を脅かすとは、万万一を想定しても、なかなかにありえない。百歩譲って重傷は受けても、命に障るとは思へない。加えて、報道によれば致命傷を惹起した銃弾が今尚見当たらぬと云ふ話だ。専門家の意見として致命傷に至るにはそれ相当の銃弾でなければならず、然るべき弾跡が残るはずだと云ふ。示唆されるところは、致命傷を来すには手製の散弾では叶わず、他に銃器と銃弾があった可能性だ。ネット上には、あの凶事の瞬間に某外国機関が紛れ込んで、サイレンサー付きの本格銃器で首の根から心臓へ致命弾を撃ち込むと云ふ想像を絶する状況をさえ示唆する書き込みがあった。

こう云ふこともある。銃弾の不在で弾跡が不明なら詳細な検証が不可避なのに、何故にあれほどまでに荼毘を急いだのかと云ふ疑念がそれだ。JFKの前例もあるから、現場状況から死体検証の一切を白日のもとに晒す必要があったであらうに、その一切を隠すが如くに荼毘が急がれた。なぜか。

最後に政治的な状況証拠がある。

安倍氏の死から得られる益とは何か、それを享受するのは誰かと云ふ話だ。卑近には将に進行中だった参院選挙がある。安倍岸田間に党内の軋轢があったことは知る人ぞ知るところ、原因を一点に絞ればグローバリズムへの姿勢と対応だ。進行中のウクライナ問題への姿勢にしてからが、両氏の間には派閥を介して抜き差しならぬ違ひがある。グローバリズム勢力に言ひなりの岸田にしてみれば、この参院選挙でその立ち位置を鮮明にしたいところ、安倍そしてやがて高市への流れが目の上の何やらであったのは事実だから、安倍氏遭難のインパクトはグローバリスト岸田にとって如何なものだらうか、想像に難くない。

さらに、国際政治の枠で安倍氏を煙たく思ふ向きが多かった。左傾の度合いがいや増す自民党内では同氏のグローバリズムへの姿勢は際立ち、支那への傾斜角も鈍い同氏はそれが急な岸田には厄介者にすらなってゐた。支那絡みには台湾を巡る動きが見逃せまい。遭難間近、安倍氏は月が変わる早い時点で訪台が決まってゐた。米下院のペロシ氏とほぼ時を同じくして台湾を訪れて蔡英文率いる台湾政府を支えるモチベイションを高める意図があった。台湾はウクライナ問題から派生する(と予想される)支那の対台動向が懸念され、この時期のペロシと安倍氏の訪台は蔡英文以下台湾国民の歓迎するものだった。支那がその空気に気づかぬはずは到底ない。

そんな国際政治状況が安倍氏の遭難に無縁だったとは、なかなか云へなからう。私は安倍遭難の裏の裏に、じつはこの辺りに遠因、否、直接な原因があったかに思へてならぬ。ことはすべて結果論だが、わが検察陣に然るべき良心あらば、安倍遭難事件に周到な判断あるべしと祈る次第。良心の有無は論理の話、ここはまず道義の問題として故安倍晋三氏の魂を労わり、ことの正義がやがて必ずや顕れることを期待するや切である。

国葬の話。これは私にとって強烈極まる実体験を語らねばならぬ。若いものには知る由もないのだが、大東亜戦争の只中、ブーゲンビル島上空で遭難した山本連合艦隊司令長官の真珠湾以来の戦績を讃え、不慮の戦死を悼んで国葬が荘厳に営まれた。何処かで書いた記憶があるのだが、山本元帥へ殊の外畏敬の念を抱いてゐた幼時の私は、元帥の国葬を神懸かりの神事と捉えて没我の感激に浸って仰ぎ見ていたのを記憶してゐる。
いま安倍氏の国葬問題で国が揺れてゐる。山本元帥のそれに比べる愚は措くとして、国家への功績の何たるかにイデオロギーを持ち込むの愚は避けねばならない。ときの国家の安寧に如何に尽くしたか否かこそが問はれるべきで、將に路頭に迷わんばかりの日本をあわよくば保守の正道に戻さんと尽力しながら兇弾に斃れた安倍晋三氏の功績は、矢折れ刀尽きんとするまで国を支えた山本元帥のそれと何里と違うものではない。左傾から中道へ、あわよくばぐんと右へ保守の正道へ引き戻さんとしつつあった安倍氏の非業の死を悼むに国葬を以ってするに何の妨げもあってはならぬ。

人の死にはそれぞれに意味があるはずだ。美しい日本の再生を夢見た安倍晋三氏の横死の真因は、何としても明らかにせねばらぬ。愚教に絡む俗事が原因の些事として裁かれては、同氏の魂が行くべき処へ行かれぬ。安倍元総理暗殺事件の根は深い。深ければこそ、断固掘り起こしてその根因を抜き上げねばならぬ。


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