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海の見る夢 №36 [雑木林の四季]

   海の見る夢
       -あなたのための行進曲ー
                    澁澤京子


最近、『タクシー運転手』チャン・フン監督 を見てはじめて、韓国の「光州事件」がどんなに悲惨で大変な事件であったのかを知ったのである・・さらに『光州5・18』キム・フジン監督、『1987』チャン・ジュナン監督を見るに及び、お隣韓国の人々が、朴政権、全政権の軍事政権の圧力により、いかに苦しんでいたかを知ったし、それこそ韓国の学生運動、市民デモが命がけのものであったことも、韓国の民主化は自発的な市民運動の力(タクシー運転手も怪我人を運ぶために活躍した)がとても大きかったことも初めて知ったのであった・・

1980年5月。光州事件は起こった。当時22歳の私はまだ学生で、ちょうど日本はバブルに突入する頃。私がアース・ウィンド&ファイアーなど聴いて浮かれて踊っていた時期に、お隣の韓国の学生・市民は死にもの狂いで軍事政権の圧力に抵抗し、民主化のために戦っていたのである・・

韓国映画を観ていると、田舎の風景が日本の田園風景にとても似ている、映画の中では雨のシーンが多いけど、雨の匂いまで伝わってくるような風景なのである。男も女も、日本人にもいそうな顔が多いことに気が付く。同じアジアでも中国の女優さんが妖艶な美人が多いのに対し、韓国の女優さんの清楚で可愛らしい感じは日本の女優さんに近いし、なんといっても、車のラジオや街頭で流れる歌謡曲や演歌が、日本の歌謡曲、演歌に似ているのだ。ある民族の大衆音楽が似ているという事は、その心情も似ているところがあるという事じゃないだろうか?

今の韓国映画のレベルの高さを考えると、韓国のナショナリズム運動が、特に文化・芸術と教育に力を入れてきたというのも納得できる。そして、やはり第二次大戦後に続く朝鮮戦争、南北分断、そして軍事政権による弾圧、つい最近まで韓国がそうした苦難の歴史を経験してきた事は何よりも大きいだろう。敗戦直後に作られた、かつての日本映画に素晴らしい作品がたくさんあるように、苦難を経てきた人の方が、訴えたいものをたくさん抱えているのでこちらの心に伝わってくる。映画が素晴らしいと、この国はこれからきっと発展していくだろう、と思ってしまう。韓国の詩に魅了されて、晩年の茨木のり子さんは韓国の詩を翻訳するために韓国語を習っていた。韓国に優れた詩人が多いというのは、映画を見るとセリフのセンスが光っているものが多く、なんとなくわかるような気がする。格差問題でも、極貧ではなく、塾やお稽古事に行けない子供の寂しさと哀しみなど、日本でもどこでもありそうな相対的な貧困で子供の心が傷つく様子など、視点が鋭く、繊細な心理描写がとても優れている。

日本の学生運動に比べると、南北分断された軍事政権下の韓国の学生による民主化運動はまさに命がけで、80~90年代まで「赤狩り」と称し、学生が集会を開いているだけで一方的にスパイ、反乱分子と決めつけ、一般市民、大学教授、学生に対して、拘留、拷問、虐殺が行われた。韓国でも、反共親米の保守VSリベラルという政治構造で、そうした構造はほぼ日本と同じだが、保守派の軍事政権、KCIA,警察による暴力のすさまじさは、日本とはくらべものにならない。日本で反共と言えば勝共連合だが、韓国では反日教育とおなじくらい反共教育も徹底していた。日本の「特定秘密保護法」と同種類である戦前の「国防保安法」のような厳しい言論弾圧が韓国では日常的に行われていたのだろう。(韓国では右派が韓国政府の起源を分断後の1948年の反共国家とするのに対し、左派は1919年3・19、朝鮮半島分断前の独立運動を韓国政府の起源と考えるらしい~『日韓関係史』木宮正史)

1950年 朝鮮戦争勃発
1953年 休戦 軍事境界線38度線
1959年岸信介による日本からの「北朝鮮帰還事業」により、日韓関係は悪化するが(この時、李承晩ラインができる)、朴政権になり経済協力が必要とされてから日本と韓国の関係は回復する。ちなみに賠償金が支払われたのも、朴政権の時。(大平総理)賠償金3億ドル、借款2億ドルなどで話が決まり、朴軍事政権に支払われたが、賠償金が個人に支払われることはなかった・・出兵した在日韓国人は日本政府からも韓国政府からも年金を貰えず困窮し傷病兵となった(子供の頃、渋谷駅など大きなターミナル駅でよく手足のない傷病兵を見かけた)、慰安婦問題がこじれたのもどちらの政府からも賠償金がもらえなかった事に原因があると思う。朴政権は用日ナショナリズム、経済的に日本を利用する道を選んだ。朴政権、KCIAが支援する形で勝共連合(笹川良一・岸信介)ができたのは1968年。

朴政権の時に出来あがってしまった「用日ナショナリズム」の関係により日本政府は、今度は全斗煥大統領の時に100億ドル要求されるが(鈴木首相)、結局日本は40億ドルの公共借款を韓国に提供することになるのである・・朴政権時代に出来た悪しき習慣、用日ナショナリズム、「謝罪=お金」で、日韓関係は逆によけい複雑にこじれてしまったのではないだろうか?

1973年、東京で金大中拉致事件が起こり、監禁される。(この事件により一部の日本人は誘拐された金大中を支援した)

1979年、朴大統領は部下であるKCIAの情報部長により暗殺されるが、政府は再び戒厳令を敷き、全斗煥が中心となり事故の調査にあたった・・特に共和党のようなアメリカのタカ派にとっては全斗煥のような軍事政権が政権を握ってくれる方が、反共政策をとるために利用しやすく都合がよかったのだ。

民主党で人権派のカーター大統領でさえ、北朝鮮の脅威と「赤狩り」を真に受けたのか.光州での全斗煥による市民弾圧と暴力を黙って見過ごした。そのため、光州事件で市民を見殺しにされた韓国は反米となってゆく。

~選挙の前になると、韓国の保守タカ派の政治家はリベラルな政治家(金大中)を落とすため、大金を抱えて金正日に頭を下げて頼みに行くのである。北朝鮮からミサイルを発射してもらうためであり、北朝鮮のミサイル発射や脅威により、タカ派、軍事力の存在価値が明確になって韓国の大統領選挙に有利に働くからだ。もちろんこの多額のお金は金正日の懐に入るだけで、北朝鮮の庶民は貧しさと飢餓状況のまま放置なのである~『工作 黒金星』ユン・ジョンピン監督より

『工作 黒金星』は、実在した韓国の工作員の実話を元にした映画で、この映画を見てはじめて、金正日の時代に、北朝鮮が時々思い出したようにミサイルを発射していた理由がわかったのだった。つまり、北朝鮮(金正日)は韓国の保守タカ派政治家から多額のお金を受け取り、その代りに「仮想敵国」役を引き受け、ミサイルを発射していたのだ・・要するに北朝鮮の脅威がなくなると、困る人々がいるからだ。タカ派の政治家たち、KCIA、軍隊、など・・結局、映画のラストでは金大中が逆転して大統領に当選(1998)する事になるが、その頃の実話だから1997年ごろの話だろう。

戦後、高度成長期の波に乗って、一時は経済大国となった日本。80年代バブルの時代には、海外でブランド品を派手に買っていた日本人。私たちが命を懸けて民主主義を守ることもなく過ごせたのは運がよかったのかもしれない・・しかし、日本には韓国のような理不尽な圧政と暴力がなかった代わりに、バブルがはじけた頃から、徐々に真綿で首しめるようなファシズムな閉塞的雰囲気が広がり、政治に無関心か、あるいは(お上の言う事に間違いはありますまい)のアイヒマン的な思考停止の従順な人が多くなったような気がする。政治に批判的であり、民主主義を能動的に支える市民が育ったのは、むしろ圧政に抵抗し続けた韓国の方だろう。少なくとも、韓国は自国の保守政治家と北朝鮮の裏のマッチポンプを暴露できる言論の自由を持っているではないか。「統一教会」と自民党の関係にちょっと触れただけで、ヒステリックに反応したり、「物言えば唇寒し・・」でテレビ局に抗議や嫌がらせの電話が殺到するのって、民主主義国?光州事件で80年代になっても「赤狩り」という言葉が残っていたのも驚いたが、今回のまるで言論弾圧のような雰囲気にも驚いている。今、陰険な圧力にめげずに告発しているジャーナリストやメディア、弁護士、識者も少数いて、心から応援しているのである。日本は戦後から続く「反共親米」保守を脱却して、もっと中立的な視点を持ってもいいのでは?

1987年 大韓航空機爆破事件
1998年 金大中とリベラル派の小渕首相により、日韓関係は良好になる。
2002年 小泉首相の訪朝。10月 拉致被害者帰国 小泉首相に期待がかかるが、靖国参拝により、日韓関係は再び悪化。~韓国大統領は穏健派のノムヒョン
2011年・金正日死去
2012年 暗殺された、朴大統領の娘パク・クネが大統領になり国情院(旧KCIA)などが再び強化されるようになり国民から反発されるが、セウル号事件をきっかけにして、国民からの反発と追及がひどくなりパク・クネは辞任。

日本と韓国の経済が互角になるころから、日本の戦争責任問題が持ち上がり、日韓関係が再びこじれるようになってきた。ネットでの韓国・中国に対する罵詈雑言が凄まじいと思っていたらついにヘイトスピーチは公道に出現するようになった。凄まじい差別・侮蔑の暴言を吐くのは、一見大人しく目立たないような人々だった。「嫌韓流」とか「慰安婦の嘘」的な本を書店でよく見かけたのもその頃。

昔、『日本残酷物語』宮本常一編 を読み、明治期の炭鉱労働のあまりに悲惨な状況に衝撃を受けたことがあった、人権なんて言葉が軽く吹き飛ぶほどの、炭坑夫に対する残酷な家畜以下の扱い。確か、ほとんどが朝鮮から連行された労働者だったと記憶している。脱走しないように繋がれて監視されていたというから、強制的に動員されたといわれても無理はないだろう・・

小泉元首相の訪朝・拉致問題解決に尽力した、田中均(国際戦略総合研究所理事長)は、安部政権の自己中心的な右傾化に警鐘を鳴らしていたが、最近のインタビューでは、「日本の外交の内向化」(毎日新聞2022・7・20)で、国民受けばかり考える政治家ではろくな外交ができないということを述べている・・これは戦後、重光葵(外務大臣・A級戦犯)が、その獄中の手記で日本の敗戦の一番の原因を「国民受けのパフォーマンスばかり考え、何の戦略を持たなかった日本の政治家にある」と述べたのと、まったく同じことだろう。要するに、状況を読んでヴィジョンと戦略を持つのではなく、自分の人気取りのことしか考えられない(見せかけの仮面と目前の利益だけ気にする)政治家が日本を滅ぼすのである。

今回の山上容疑者を見ると日本のカルト宗教に対する取り締まりの甘さ、そして経済的貧困も問題だが、それ以上に貧しいのは、家庭が崩壊すれば完全に孤立してしまうような、今の日本の、横の人間関係の貧しさと居場所のなさ、なのである。外を見ない日本の内向きな政治と同じように、日本の家族もまた閉鎖的に孤立してしまうような、冷たい無関心な社会・・

ある国の普通の人の暮しが一番よくわかるのは文学や映画であって、そういう意味で韓国の文化戦略は、その効果を発揮している。たとえば、漱石の小説が明治時代のベストセラーで新聞小説だったことを考えると、当時の日本人の平均的な知的レベルの高さがわかるし、また、映画ほど、ある国のある時代の一般の人々の精神レベルがよく反映されるものってないかもしれない。やはり国を根本から支えるのは言葉、教育であり文化なのだと思う。

タイトルの「あなたのための行進曲」は光州事件で30歳の若さで拷問により亡くなったユン・サンウォンの友人たちが彼のために捧げた曲。(この歌は天安門事件遺族の会でも毎回歌われるらしい)市民抗戦の中心人物であったユン・サンウォンは1950年生まれ。銀行員をやめて、あえて過酷な工場で肉体労働をはじめたところなど、シモーヌ・ヴェイユを彷彿とさせる純粋で一途な青年。写真を見ると、他人のために生きる人特有の清らかな表情をしていて、それを見ていると、80年代には日本からの「妓生観光(売春観光)」がおおっぴらに行われていたことが恥ずかしくなるし、また、その頃、何も知らずに浮かれていた自分も恥ずかしい。拷問されたユン・サンウォンの遺体の上半身は生きたまま焼かれた黒焦げの状態で原型もとどめぬほど損傷していたという。そんな暴力的な政府に日本政府は多額の経済支援をしていたのだ・・(光州事件で殺された市民は政府発表だと207人、外国人団体、民主化運動団体によると600人~2000人とまちまちで正確な市民の死亡者数は不明)この光州の惨状は、サンウォン自身が外国人特派員に連絡、それから戒厳令の光州市潜入に成功したドイツ人ジャーナリスト等によって、世界中に写真が送られ知られることになった。

昔、よく骨董を見て歩いていた時期があって、その時に中国の骨董より韓国の骨董品に親しみを感じたのを覚えている。中国のものに比べると色彩が渋くて素朴でシンプル、日本人の好みに近い。李朝の白磁を初めて見たのも骨董屋だった。白というよりもミルクのような柔らかな白、少しいびつな丸みを帯びた形といい、なんて温かい色と形だろう、と暫く見惚れたことがある。(もちろん、すごく高かったので買えなかった)朝鮮の骨董の質のいいものには品の良い「ぬくもり」のようなものがある。作り手の心が、まるで体温のようにこちらに伝わってくる感じ。

骨董を見るようになってから、人を見るときも骨董を見るときと同じように見るようになった。私がレベルが高いと評価する人には必ず、上質の骨董品のような品の良さと温もりがあるものだ。

それと同じように、韓国の上質の映画にも人の温かさが底流に流れている。そう感じるのは、彼等に似た感受性を、私も持っているせいなのかもしれない。日本に近いのに遠い国、韓国。いつか訪れてみたいと思っている。


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