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梟翁夜話 №116 [雑木林の四季]

「ヒルビリの思ひ出」

      翻訳家  島村泰治

若き日、私はアメリカに留学した。アイダホ州の首都ボイシ、日本人の気配のないのが取り柄の、とあるカレッジだった。1950年代半ばのことだ。あれは学生寮でのある日、つかの間の暇をつぶさんとギターを探り弾いてゐた私は、不図、何時かな部屋の戸口に佇むひとりの同僚に気づいた。地元感豊かな風貌と振る舞ひに懐っこさを感じ、私はまだ不自由な英語で挨拶めいた一言二言を散らし、何か用かの意味を伝へた。

それに応えて彼はゆったりと部屋に入って来るや、私のギターを取り上げて、バランとハ調の和音を叩き出し、小首を傾げるや何やらひと節唄ひ始めた。
♪ Your cheatin' heart....
二拍子の単調な和音進行で、あるいは高くあるいは低く、土臭い旋律が辛うじて聞き取れる言葉に乗せて坦々と続く。
♪ ... will make you weep...
You cry and cry...you try to sleep...
やがて、
♪ ......will tell on you.
ジャーンと締めて曲が終はる。

彼はどうだと云ふ風情でにっとこっちを見る。進駐軍放送のラジオで聞いた覚えがある。いい唄だと褒めれば。彼はにっと笑って、
”This is what we call hillbily.”
ヒルビリとな?聞き慣れない言葉だ。聞いた途端は安っぽい音のする言葉で、語彙に加えるほどのものじゃないと思った。

”Never heard of it, but I say it's fancy."
程度のお愛想はして見たのだ。それを受けて奴さんが滔々と語った物語が圧巻だった。土地の唄好きなら知らぬものはない、この国に来たなら覚えにゃならぬ、と。いまにして思へば、所謂カントリミュージックの原点で、さっきの奴は大御所ハンク・ウイリアムスのヒット作、泥臭いのを直に聞いたレアな機会だったと云ふわけだ。

ハンク・ウイリアムスは知る人ぞ知る唄芸人で、奇声を発して疑似ヨーデル混じりで唄ふ、何とも泥臭い日本なら民謡の唄ひ手だ。その日の不意の訪問者はハンク張りの奇声で一曲を披露したわけで、聴いた音楽好きの私は堪らない。
立て続けに二、三曲を頼めば気を良くした奴《やっこ》さん、よし来たとばかりハンク・ウイリアムス擬《まがい》の枯れた喉を大いに振るわせる。

一頻《ひとしき》り唄ってギターを置き、彼は私に日本の唄を唄って聴かせろとせがむ。さっき弾いてゐたのは何だと云ふから、あれはクラシックギターの小曲で日本の唄ではない、と。何を聞かせやうかと思案しきり、思ひ付いて童謡の「赤とんぼ」を弾き語って見せた。
”You yeah-kay koyeah-kay no Akar toe’n beau…"♪・・・
歌詞を英語風に書き換へて見せ、純綿の日本語で朗々と唄ふ。♪ 竿の先 ... と唄ひ切って様子を見れば、奴さんえらく感じ入った様子。感に入った風情で曰く、
" Kind'a sad n'lonlely, but it sounds pretty good, I say it's lovely..."

「赤とんぼ」は私の好みの童謡だから、ギターでしんみり唄へばそれなりに聞ける。どうやら日本の童謡が気に入った様子。ぜひ覚えたいと云ふから、ならばとその日は手取り足取り「赤とんぼ」を日本語で口伝えに教え込んだ。ギターの分散和音も器用に覚えて、ひとしきりで一端《いっぱし》の「赤とんぼ」をものした。何度か唄はせてみたが、カウボーイ紛ひの唄ふ「赤とんぼ」が何ともいい味で、私は暫しその味に痺れたのである。

あれから幾星霜、細かいことは疾ふに忘れたが、奴さんの「赤とんぼ」は鮮明に覚えてゐる。が無念や、奴さんの名前が何としても思ひ出せぬ。あれから暫く行き来はあったのだが、真面《まとも》な音楽の道へ進んだ私を敬遠したか、彼は何時かな私の前から消えた。立居の残像は微かながら瞼の裏に、奴さんの唄ふ異国情緒の「赤とんぼ」の余韻は、嬉しや辛うじて今も耳底に残ってゐる。
半世紀余も前の昔の仄かな思ひ出だ。了


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