SSブログ

雑記帳2022-6-1 [代表・玲子の雑記帳]

記帳2022-6-1
◆『知の木々舎』の後見人、鈴木茂夫さんは現在91歳。お住まいの住居の両翼に2人のお嬢さんの家族が住んでいるとはいえ、基本的に一人暮らしです。

男性でも女性でも、高齢者が一人暮らしをするようになると、先ず気になるのが食事です。自炊できるに超したことはありませんが、誰もができるわけではない。幸い、今は宅配や冷凍食品が充実しているので、困ることはありません。チンすればいつだって暖かいご飯が食べられる、そんな中で、宅配弁当の来ない週末の昼に何を食べるか、スマホを駆使して探すのが、現在の鈴木さんの楽しみの一つです。

昨今の高齢者の運転事情もあって、手足のようだった車を手放し、今は自転車だという鈴木さん。昔とった杵柄で1時間や2時間乗るのはなんでもない、ただ、バランス感覚が昔より鈍ってきたという自覚はある、週3回のジム通いのおかげでまだ電車には乗れる・・・。加齢と共に制約が増えていく中で、自分の身体と相談しながら楽しみを見つけることは、人生100年時代に、誰もに求められることでしょう。
かく言う私は脊柱管狭窄症だと医師に言われています。医者の無慈悲な宣告にたいして、知り合いの、狭窄症はなおるよという言葉に一縷の望みをかけてはいますが、ふらふら街歩きも今にできなくなるのかも・・・。

値段がリーズナブルであることと並んで、鈴木さんが店を探す手がかりの一つが過去の記憶につながるものです。半世紀以上前の自身の記憶と、まだ店が続いていればその歴史を思えば、一つひとつに物語があるではありませんか。いくつかを紹介してもらいました。

国立駅南口にあるカフェ「ロージナ」は、店の初代のオーナーが昭和30年代に鈴木さんとアマチュア無線仲間だったというのです。小平にある津田塾大学のチャペルに、夜、毎月の例会に通って、顔をあわせていたそうです。当時の津田の事務長さんが同じく無線仲間だったからというわけですが、神聖なチャペルがそんな会合に使われていたとは、在学生でも知らなかったのではないでしょうか。鈴木さんは、店には行ったことはないそうですが、最近になって、その店がまだあることを発見して行ってみたくなったのでした。

ロージナは、すっかり忘れていましたが、実は私が学生時代にサークルのついでに1、2度立ち寄ったことがありました。今もむかしのままの、小さな路地の一角にあります。

私が学生だった昭和40年代初め、ロージナは一橋生のたまり場のようでした。60-年安保に遅れてやってきた安後派の青年たち(70年安保との狭間だったので安中派だったのかも知れません。)が、未熟ながら熱く政治を語り合っていた時代もあったのです。
いかにもロシアっぽいその名前は、戦前のソビエトで生まれ戦後世界中で流行していた「祖国の歌」の中に出てくるのだそうですが、店名の由来になったかどうかは今となっては定かではありません。
あとで知ったところでは、創業当時からロージナは芸術家や作家たちのサロンだったということです。

路地 のコピー.jpg
ロージナのある狭い路地は1954年の開業当時のまま
ロージナ のコピー.jpg

学園都市・国立の最初の構想は、1925年、一橋大学を誘致して西武(当時、箱根鉄道)が開発するというものでした。堤さんには東急に対抗して、東の田園調布に倣った街を造りたいとの思いがあったようです。それから30年、戦後の1954年に、旧駅舎の開業とともに新しい街が誕生したのでした。
今はおしゃれな大学通りも、私が学生だったころは、まだ道路も舗装されていませんでした。しかも一帯は周辺から見るとちょっと低い地形なので、雨が降るとぬかるんで大変でした。新調したばかりのレインコートがバスのはねあげる泥水を被って恨めしい思いをしたこともあります。

国立駅舎3 のコピー.jpg
国立のシンボルだった赤い三角屋根の旧駅舎 IR中央線が高架になった今は駅舎の役割を終え、コミュニティスぺースとして利用されている

さて、ロージナは、オーーナーの代が変わっても、70年前の味をそのまま受け継いでいるという店です。メニューも昔のままだというので、名物のザイカレーをいただくことにしました。ザイの意味は諸説あって不明とのこと。2階のテーブルには70年前の学生らしきグループも見受けられました。

やはりザイカレーは一番人気のようですが、量と辛さが半端じゃない。さすがに食べのこして「60年前なら食べられたのだけど、ごめんんさい。持ち帰ってもいい?」
そんな客は他にもいるらしく、すぐに持ち帰り用のケースとポリ袋を持ってきてくれました。隣に座ったカップルは若いだけあって、完食でした。

ザイカレー.jpg
980円のザイカレー

ロージナが創業した1954年、ビキニ環礁で被曝した第五福竜丸を、鈴木さんはTV記者として取材していました。焼津にあった久保山愛吉さんの病室をたずね、外からはわからない、治療法とてない被爆者の症状をどう伝えたらいいのか。無言で横たわる久保山さんの、呼吸器の音だけを拾ったという話を聞いたことがあります。当時、小学生だった私の田舎の町にも「原爆許すまじ」の歌が流れていたことを憶えています。戦後10年も経っていない、まだ広島、長崎の記憶が日本中に生々しく残っていた時代でした。

「原水爆反対」の署名活動も各地で活発におこなわれていました。荻窪駅におりたつと、割烹着を来た主婦たちが道行く人に署名を呼びかけていた姿を、鈴木さんは春木屋のラーメンと一緒に思いだすのだそうです。
荻窪駅前のラーメン街に、その春木屋は今もあります。

1949年(昭和24年)開業の春木屋も、また、創業以来の味を守っているのが売りです。昔の春木屋を知らない人たちにも人気で、開店と同時に行列ができるとか。和風のスープの味はシンプルで、値段も手ごろでした。店に外国籍の従業員もいる時代になりました。

IMG_3572 のコピー.jpg
開店前からっ客の行列ができる
IMG_3574 のコピー.jpg
ゆで卵1個のせても1000円でおつりがくる
IMG_3578 のコピー.jpg
ラーメン屋さんが多く店を出していた路地 コロナで閉めた店も多い。

鈴木さんは昭和24年に早稲田大大学に入学のため上京しました。新宿はいわば早大生の縄張りです。
終戦後間もない新宿の、東口は整備が進んでいましたが、西口はまだわずかに浄水場の目立つ程度のさびれた土地だったと言います。淀橋浄水場はその後、都庁になるのです。

西口にある思い出横丁のルーツは空襲の跡も生々しい地域に出来た闇市です。戸板一枚でしきった店が並び、暴力団がしきっていた時代です。飲み屋、もつ焼き屋に混じってシチューを出す店が鈴木さんのお目当てでした。進駐軍の接収した新橋のホテルから出た残りもののシチューを、薄めて出していたのが1杯10円、薄めずに出してくれたのが30円。おなかをすかしていた若者にとって、コンビーフのはいったその味は忘れられないものになりました。

暴力団がしきっていた横丁も、その後、再開発が進みました。現在、最盛期の300店舗はなくとも、戸板1枚で区切った当時の造りを今に残して、昭和の味と人情で多くの客を呼んでいます。鈴木さんの通ったシチューの店はありませんが、1軒の蕎麦屋をのぞいてみました。
IMG_3623 のコピー.jpg
横丁のいりぐちに店の名前がずらり
IMG_3622 のコピー.jpg
壁1枚で店のつながる狭い路地が何本もある
IMG_3620 のコピー.jpg
路地を抜ければおなじみの新宿の街並み

カウンターだけの小さな店は常連客も多いらしく、隣にすわった女性がが慣れた様子でコップに水をくんでくれました。もう一人の隣人(これも女性)が「ネギダクでお願いね」なんぞと注文するのもそれっぽい。なにしろかき揚げダブルにゆで卵1個のせて580円です。常連客はここでお昼を食べて午後の職場に戻るのですね。後期高齢の私はといえば、さすがにダブルのかき揚げは重すぎました。完食した鈴木さんは立派です。


IMG_3618 のコピー.jpg
IMG_3619 のコピー.jpg
かき揚げダブルにゆで卵ののった蕎麦 580円!

新宿は多分、今も昔も若者の街なのでしょう。
鈴木さんより10年以上遅れて、昭和38年に上京した私にとって、新宿といえば、紀伊国屋や中村屋のあるた東口でした。その頃通ったアートシアターは今はなく、半世紀後の今浦島の気分です。

そういえば、新宿と並ぶ若者の街、渋谷でも、喫茶店ジローで、初めて閉店後の深夜(といっても21時ですよ)芝居をやったら風俗営業の取り締まりにあった、そんな時代でした。
僅か2週間であえなく中止に追い込まれたそのときの出し物を今も覚えています。当時の俳優小劇場がギリシャ悲劇の「オイデプース」を演ったのでした。小山田宗徳がオイデプース、後に仲代達矢の奥さんになった宮崎恭子がイヨカステだった。2人ともとうに亡くなりました。

◆立川の一番新しい街、GREEN SPRINGSに夏がきました。

ビルの2階部分に空中に浮かぶようにできた街は、コロナ下でも若い人たちでにぎわっていました。そのGREEN SPRINGSもすっかり夏の装いです。

DSC00020 のコピー.jpg
空中のビオトープ
DSC00010 のコピー.jpg
ビオトープに咲く花も夏の花 アサザ
DSC00007 のコピー.jpg
ショップやレストラン以外にも木陰で自由に休める場所がたくさんあって、お茶飲んだり読書したり


≪追記≫
文中、津田塾大学の無線愛好者の集まりに同席していたロージナの初代店主は、「ロージナ」ではなく、当時、同じ路地にあった「邪宗門」でした。鈴木さんの記憶違いだったそうです。「邪宗門」の店は今はありません。おわびして訂正します。(2022.8.1)


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。