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多摩のむかし道と伝説の旅 №79 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

                          多摩のむかし道と伝説の旅
                  -武蔵嵐山の栄光と悲運の武将の里道を行く 1-
               原田環爾

 現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する鎌倉武士畠山重忠、同じ源氏でありながら鎌倉殿(源頼朝)に対峙した木曽義仲、また人質として鎌倉殿のもとに送られた木曽義仲の嫡男清水冠者義高、彼らはいずれも非業の死を遂げている。その彼らにゆかりの深い地が埼玉の武蔵嵐山だ。武蔵嵐山の菅谷には畠山重忠が住した館跡がある。幕府の御家人としてここから幾度となく鎌倉街道上ノ道を通って鎌倉との間を往還したことであろう。一方菅谷の南隣の大蔵には木曽義仲の父源義賢が住した館跡があり、その西方都幾川の畔の鎌形には木曽義仲の生誕地である鎌形八幡がある。更に鎌形には義仲の内室山吹姫が非業の死をとげた義仲の嫡男義高を弔うために創建した班渓寺がある。今回はそんな武蔵嵐山の栄光と悲運の武将の里道を辿ってみたいと思う。

嵐山1.jpg

 実踏に入る前に今回の道順の概略を示す。東武東上線武蔵嵐山駅を出発し、菅谷館跡を立ち寄った後、都幾川水辺の道を辿って鎌形へ向う。鎌形からは田園地帯を抜けて大蔵館跡へ立寄る。帰路は再び武蔵嵐山駅へ復帰するものとする。

嵐山2.jpg

 武蔵嵐山駅を出てロータリー左前方の南西へ向かう商店街に入る。商店街といっても地方の町であり、ほんのささやかなものだ。ほどなく国道254号線との交差点にくる。この道は旧鎌倉街道上ノ道筋だ。交差点を横切ると数軒の飲み屋が軒を並べているだけで商店街は途切れる。次の辻を横切るとゆったりとした下り坂の比較的近年整2-1.jpg備された広い舗装道路となる。民家もまばらで伸びやかである。坂道を下ると菅谷小前で丁字路にぶつかる。丁字路の右手100mばかりの所にこんもり樹木が繁る一角がある。菅谷神社の鎮守の森だ。境内は東西に細長く伸び、その最も奥に、本殿と神楽殿がある。畠山重忠が勧請した社と伝える。菅谷神社の前には菅谷公園という小公園があり、中央に池があり、池畔に赤い鳥居を構えた厳島神社の小祠がある。由緒書によれば、畠山重忠が17歳の時、武蔵国長井の渡にあった源頼朝の陣に参陣して御家人となり、各地の源平戦に出陣して大いに軍功をなしたことから、菅谷の地を与えられ、ここに城を築いて住した。その菅谷館の武運長久の守護神として 建久元年(1190)重忠は近江国日吉山(滋賀県滋賀郡坂本村官幣大社日吉神社)の日吉山王権現の分霊を請願して奉還勧請したという。従って元は日吉山王大権現と称していたが、明治4年日枝神社と改称し、更にその後菅谷神社と改称したという。(この項つづく)


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