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海の見る夢 №30 [雑木林の四季]


    海の見る夢
        -薔薇色の人生―
               澁澤京子

 昔、経済的にも精神的にもかなりどん底の状況にあった時、ラウル・デュフィの「薔薇色の人生」の絵の小さなポストカードを、お守りのように持っていたことがあった。薄い薔薇色の壁紙、テーブルの上に赤い薔薇の花の飾ってある室内の絵。ピンク、赤、黄色など、下手すると悪趣味にもなりやすい色の組み合わせだけど、デュフィのその絵はとても温かく上品。デュフィの抜群の色彩感覚もあるが、何よりもこの絵は、彼が最も経済的に困窮している時に描かれた絵。困窮のどん底にある時にこうした明るい幸福な絵を描く・・その気持ちはとてもわかる。

人はどん底の状況にある時、暗いニュースや、他人の不幸話のような重い話は聞きたくなくなるものだ。まるで暗がりにいる虫が灯りを求めて探すように、不幸な状況にいると人は、とにかく明るくて軽いもの、それがたとえ他人の幸福であっても幸福を観ていたくなる。中途半端に不幸な人間は、他人にケチをつけて自分を慰めることが多いが、本格的にどん底の状況にいると、誰を見ても自分よりはまともそうに見えるし、まさに不幸とは孤独なのである。本当に不幸になると、人は案外それを誰にも話せなくなるものだ。

あのデュフィの「薔薇色の人生」の小さなポストカードはいつの間にかどこかにいってしまった。今はその頃に比べるとずっと状況は改善されたが、時々、「幸福」について考えると、私が「幸福」の本質というものを一番よくわかっていたのは、デュフィのポストカードをお守りにしていた、あの最もどん底の時期だったんじゃないかという気がする。不幸な状況になって初めて人は、ごく普通の平凡な日常がどんなに輝いて幸福かという事に気が付く・・

エディット・ピアフの『薔薇色の人生』は、彼女が恋人と別れた後に書かれた歌といわれている。

生後三か月で母親に捨てられ、祖母の働く売春宿で育ち、栄養失調のため失明寸前までいったエディット・ピアフ。(ルルドの奇跡で治ったという)

歌手としての才能が認められてからも、貧しい時代に裏社会の人間と関わりがあった事から殺人の濡れ衣まで着せられ、苦しい恋を何度も経験し、やっと巡り合った最愛の恋人(ボクサー マルセル・セルダン)も、幸せの絶頂期に飛行機事故で失ってしまう。死んだ恋人と会話したいために怪しげな霊媒師に莫大なお金を使ったり、アル中、ヘロイン中毒と、身も心もズタズタになって47歳の若さでこの世を去った。

エディット・ピアフの出演している映画『9人の合唱団・心はひとつ』をアマゾンで観た。貧しい合唱団と歌手(エディット・ピアフ)にクリスマスの夜、奇跡が起こるという他愛のない話なのだけど、エディット・ピアフの歌と魅力に思わず惹きこまれてしまった。小柄で猫背、それほど美人でもないのに、彼女のいかにも正直な、純真な可愛らしさに思わず魅入られてしまう。

ディートリッヒからプレゼントされた金の十字架を、ピアフは死ぬまでお守りとして、肌身離さず身に着けていたという。

贅沢でエレガント、女神のようなディートリッヒと、その名の通り小雀のように可憐で純真なピアフ。正反対の二人だけど、レジスタント運動に協力したりする「反骨」なところも、困窮している人たちに手を差し伸べるなど、常に「与える人」であり「愛する人」であったところも、二人はそっくりなのである。ピアフのアメリカ公演で出合って以来、二人は無二の親友となる。ディートリッヒは表面的なものにとらわれないで人を視る事のできる、頭の良さそうな女だけど、彼女にはピアフが自分と同類の人間であることが瞬時にわかったんじゃないだろうか。ヒットラーを拒絶しアメリカに亡命したディートリッヒにとって、ピアフは心から信頼できる友人だっただろう。

二人は全く違うタイプでありながら、自由奔放なところも、勇敢で利他的なところも、そして、全身全霊で恋をするところも、似ていた。(ピアフが最愛の恋人を飛行機事故で失ったときも、ディートリッヒは傍らに付き添っていた)

ピアフは極貧の育ちと壮絶な人生を送ったのにもかかわらず、お金に無頓着で人を疑わなかったらしい。スケールの大きさとおおらかさは生まれつきのものなのか、どこか世俗を超越したようなところがあって、ピアフには舞台装置のようなパリの街の灯、夜空に浮かぶ、つくりものの月や雲など、おとぎ話のような風景がよく似合う。もしかしたら、娼婦たちに囲まれて育った幼い頃、あるいは大道芸人の父親に連れられて巡業していた貧しい子供時代、現実から逃れるためにいつも歌や空想の世界に没頭していたのだろうか。そうした豊かな想像の世界を持っていたからこそ、彼女はどんなに傷ついても、無防備に生きることができたのかもしれない。

ディートリッヒがどんな衣装をまとっても何をしても、あたりにエレガントな空気を漂わせてしまうように、ピアフは歌い出した途端、目の前に恋の物語の風景を繰り広げることができる。ディートリッヒが「夢の女」とすると、ピアフは「夢見る女」かもしれない。極めて人間らしく生きた、強い個性を持つ二人。ファシズムの吹き荒れる暗い時代(ファシズム体制にとって、ほとんどの映画、音楽、芸術は役に立たないただの気晴らし、退廃と見なされただろう)、彼女たちは、どんなに人々に生きる力を与えたことだろうか? 

チルチルとミチルは夜の国で、輝きながら夜空に飛び交う青い鳥を夢中になって捕まえるが、捕まえた途端に青い鳥は死に、青く輝いていた羽根はみるみるうちに輝きを失い、黒ずんでしまう。暗い夜空を背景にして青い鳥が光輝くように、本当の幸福がわかるのは、苦しみや悲しみのわかる人間だけなのかもしれない。




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