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日めくり汀女俳句 №99 [ことだま五七五]

十月二十一日~十月二十三日

   俳句  中村汀女・文  中村一枝

十月二十一日
いゆくべし今日あることに芝紅葉
          『薔薇粧ふ』 芝紅葉=秋

 長野県民でもないのに、長野県知事選の選挙結果に思わず興奮した。変わるか、変わるかともう何年もいわれながら、ちっとも変わらない政治のありように、国民皆がうんざりしている時だから、地方選挙の結果にはしゃぎすぎたところもある。
 その日、たまたま八ヶ岳の山中にいて知事選のニュースを見ていた私は、身近な世直しの感触を味わった。藤村の「夜明け前」の主人公青山半蔵が、木曾馬籠の奥深い山の中で革新の息吹を感じ、新しい社会への夢を託した気持ちがふと分かった気がした。何かが変わるかもしれない。

十月二十二日
もろこしを焼くひたすらになりてゐし
          『春雪』 玉萄黍=秋

 私の父は仕事のないときはいつも長火鉢の前に坐って、金網の上に何かのせて焼くのが好きな人だった。その背中はひたむきで、焼く行為に熱中していた。餅なども、父が焼くとうすい黄金色の焼色がついてふっくらと仕上がる。エビ煎餅など、うっかりしていると忽ち焦げる。ちょっと見ていろ。父が中座した後、私はよく言い付けられた。大抵、黒焦げに近いものになることが多い。
「お前は焼くことに心をこめていない。餅一つちゃんと焼けんようでは何もできんぞ」
 よく言われた。ちょっと背中をこごめて一心に金網に向っていた父を思い出す。

十月二十三日
秋時雨人の濡れざま吾が濡れざま
         『薔薇粧ふ』 秋時雨=秋

 「時雨」は秋の季語ではない。冬である。でも今時分降る雨は、やはりうら淋しい。中里恒子氏に「時雨の記」という小説がある。映画にもなった。
 汀女は、ある時期中里さんと親しかった。車で中里さん、汀女と乗り合いで下北沢の家へ行った。中里さんの着物のお洒落はいつも堂に入っていたが、その時も濃い小豆色の地の着物にしめた何ともいい色のさび朱めいた帯、六十過ぎの中里さんのあでやかだった姿、今も忘れ難い。その日は、宇野千代さんの八十八の賀の祝いの帰りだった。誰もが既に故人である。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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