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日めくり汀女俳句 №98 [ことだま五七五]

十月十八日~十月二十日

  俳句  中村汀女・文 中村一枝

十月十八日
門を出て昨日今日なる秋風に
        『都鳥』 秋風=秋

 夏、山の別荘地で急死した杉本昌三さんをしのぶ会には百五十人が集まったそうだ。杉本さんの家に寄ってみた。人っ気のない芝生の庭に竜胆がいくつも。寂しさがソーンときた。
 その別荘地で、会えば立ち話をする仲の住人が引っ越しをする。飼犬の「白」はプードルの雑種、愛橋いっぱいの犬。いつも対応がクールなア二は、その日は「白」と離れたがらない。別れの予感といったものがあるのかも知れない。人生が常に別れを前提としているものだという現実を、六十を越えてなお私には受け入れ難い。その度に胸がきしむのだ。

十月十九日
はじまりし落葉は母に言はで発つ
         『紅白梅』 落葉=冬

 汀女の母ていは九十八歳で世を去る。昭和四十六年、汀女七十一歳。一人娘で、嫁いでから五十年、汀女の胸底深く母を思わぬ日はない。ていは一二十年近い一人暮らしだった。
お手伝いはいたにしても気がかりだった。天寿を全うした母を送って、どこかほっとした気持ちもあったのでは。
 母と娘とは面白いもので、ことのほかウマの合う同志もあれば、何事につけてもそりの合わない母娘もある。ひとえに、血のつながる同性ゆえに見え過ぎる部分、甘えの出るところ。底流には、濃い情が流れているせいだろう。

十月二十日
沓(くつ)脱の小さき靴も虫の夜に
          『都鳥』 虫=秋

 私の怖がりは子供の時からのものだ。小さい時ターザン映画が怖かった。当時、人種差別などお構いなしだから、人食い人種とかがぞろぞろ出てきて、首級を槍の先に掲げてどんじゃら、どんじゃら、焚き火の回りを踊る。それが見られなかった。長じても変わらず、ある時二人で(私二十歳、弟五歳)近所の映画館へ。後から母がきて館内を見廻すと、人々の頭の中に二つだけうつむいているのがいる。私と弟だった。ちなみに、その時の映画は「オズの魔法便」。魔法使いが出そうになると、二人とも慌てて下を向いていた。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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