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日めくり汀女俳句 №97 [ことだま五七五]

十月十五日~十月十七日

   俳句  中村汀女・文 中村一枝

十月十五日
張板(はりいた)抱へて廻れば眩し鵙(もず)の庭
            『春雪』 鵙=秋

 昔、張板というものがあった。長い板に布を張りつけてぴたん、ぴたんとたたきながら伸ばしていく。着物を縫い返す前には、まずほどき、洗って、糊をつけこの板に張る。板から布をはがす時、ばりばり音のするのが面白く、私は布をはがすのが大好きだった。
 普通の家の主婦はそれを又自分で縫うわけで、家族全員の着物となるとその手間は大変だった。お母さんは暇なしに働くものだとずーっとそう思っていた。
 戦後、女性の暮しは一変し、その地位もまた。暮し向きは合理的で簡便、でも満ち足りた母親の笑顔に会うことが少ない気がする。

十月十六日
片空にはや朝鵙(もず)や街音や
            『紅白梅』 鵙=秋

 テレビで見たお父さんたちの運動会事情というのは面白かった。今時のお父さんは日頃の罪滅ぼしもあるらしいが、ビデオの撮りやすい場所を確保するため、早朝から校門一番乗りを目指すのだそうだ。
 子供の頃の運動会に、父がきてくれた記憶が余りない。当時どこの父親もそんなもんだった。娘や息子の運動会には、夫はカメラを片手にまめに写真を撮っていた。そういう父親は必ず何人かいた。でも校門前に長蛇の列のできる光景、盛り沢山の豪華な弁当、ビール。今は家族の時代なのだと納得してしまった。

十月十七日
山粧ふ幾日(いくひ)とてなき泊りかな
             『紅白梅』 山粧ふ=秋

 一ヵ月ぶりに一六〇〇メートルの山へきた。下から上ってくると、紅葉のだんどりがよくわかる。晩秋の山道を歩く。黄葉のダケカンバ、白樺、真っ赤なナナカマド、どうだん、モミジ、日本の秋はやはり名品だ。若い時は四季の移ろいなど気にもとめずにいた。
私にとって当時季節感は、喘息の出具合だった。人っ気のない山の中で、戸のあいている家、洗濯物が妙に懐かしい。
 夜になると一点の灯が心の中にしみてくる。見知らぬ家のその明りが嬉しくなってくるのだ。真っ暗闇の中でぼっとともった光の温かいことよ。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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