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日本の原風景を読む №41 [文化としての「環境日本学」]

コラム

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

「ええ、ぼちゃだ」
 十日町の松代ではお風呂のことを「ぼちゃ」と呼ぶ。「ええ、ぼちゃだ」。
 芝峠の温泉「雲海」の露天風呂からは、三六〇度折り重なる山並みが雲海に沈み、たゆとう風景が洋々と拡がる。近くに蓬平’よもぎっだいら)、仙納、菅刈(すがかり)など棚田の名所が散在し、温泉浴と組み合わせた「棚田ツァー」が人気を呼んでいる。
 南側に隣り合う松之山には有馬温泉、草津温泉とともに三大薬湯とその効果が讃えられる名湯、松之山温泉が七百年の歴史を秘めて、いまだ動力に頼らず自噴し続けている。
 お湯の〝味わい″は真夏の海水浴のしょっぱさと変わらない。かって海であったところが地殻の変動で閉じ込められ、海水が温泉となって湧き出している。PH9の強アルカリ泉で湯ざめせず、肌はツルツルに。薬湯として知られるゆえんだ。
 新潟は有数の酒どころ。十日町にもすっきりした辛目の地酒がひしめいている。
 温泉と酒。敗戦後の混乱期に、太宰治と並び文学ファンの人気を二分した、新潟出身の無類の酒好きにして、無頼派作家、坂口安吾の遺品などを収蔵する「大棟山美術博物館」が、松之山にある。七百年の歴史を重ねた村山家三十一代の当主が、叔父安吾の思い出の品々を公開している。安吾は学生時代から松之山をしばしば訪れていた。
 今では〝絶滅種〟となった「酒豪、無頼派」の面影を、「温泉と酒」に浸ってしのぶのも一興であろう。

信州人情物語
 民宿「信濃百年」。IT技術者から転じた高橋俊三・文子夫妻が自ら汗を流し、長い時間をかけて古い農家をゆったりした囲炉裏と広い土間を持つ原型通りに修復した。映画『阿弥陀堂だより』のロケで寺尾聴、樋口可南子夫妻の住居になった。
 1R飯山線に架かる橋の向こうに、独り住む八十五歳の婦人をそれとなく見守る高橋夫妻。時おり民宿から届くご馳走に老婦人は感謝の返歌を和紙に記し、信濃百年のあがりかまちに季節の花を添えて置いていく。
  脱サラや 都忘れの 花の里
  やさしさの 味に煮えてる 煮大根
 飯山線の一時間に一本一両、時には二両編成の電車が、信濃百年と隣り合う掘り込み式の路床を走りぬける。田んぼと森の絶景を縫う電車に宿の客が手を振る。電車は時に汽笛を鳴らして挨拶を返す。
 客が訪れない開業の初期、照岡の集落の人々は、いろいろな口実を作って信濃百年に集い、支えた。汽笛は信濃百年を囲む営みを讃えるかのように、人々の心をつなぎ、揺さぶり続ける。

猿飛佐助はアウトサイダー
 lR上田駅前広場。真田家の家紋六文銭の臓が風に鳴り、甲再に身を固めた騎馬武者、真田幸村(信繁)が突進する。大坂夏の陣で宰相が討死して四〇二年NHKテレビ大河ドラマ『真田丸』が放映された。真田氏の居城上田城は関ケ原に向かう徳川秀忠の大軍を再度阻止した名城である。
 郷土史の研究家で上田養蚕業の創始者一族の子孫、益子輝之さんは「真田丸」現象について語る。
 「忍者猿飛佐助で少年の血を騒がせた立川文庫が原点です。アウトサイダーの物語ですね。忍者にしても、下克上の三好青海入道にしても、アウトサイダー。立川文庫が評判になったのは日本で中央集権が極度に進んだ時期です。ものごとがどんどん画一化され、中央集権化されていく世相への反発みたいなものが、どこかに流れていたのではないでしょうか。上田には昔からアウトサイダー気質がある。独立自尊、権威に支配されるのを嫌がる。真田幸村とは滅びの美学です」。戦国時代、地勢上武将たちが覇権めざして行き交ったこの土地で、郷土愛に支えられ民衆の自治意識が培われた、というのである。
 「わが社の蚕糸工場用地も益子さんのご先祖が当初から無償で提供してくれました。ご本人はお茶、お花、踊りを東京で修め、勘亭流の書家、出世欲なしの市役所観光課元職員。城主松平家に由来するといわれる風流上田人の典型です」(笠原一洋・笠原工業会長)。
 益子さんのひょうひょうとした生き方に、反骨の風流上田人の面影をみている。
 益子さんは地芝居「上田真田歌舞伎」の型を指導し、自ら出演し、名女形故市川鏡十郎仕込の型を伝える。「地芝居の伝統を絶やしたくない。地方が中央に太刀打ちできる唯一のものが風情ですから」。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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